Movie by DELTAFORCE. Photos by Yasushi Photos. Text by colorsmagyoge.

 

今シーズンはオーストラリアのQS6000”Australian Open”で3位となったのを皮切りに、その後のQS1000で優勝、ポルトガルのQS3000で3位、そして千葉県一宮町で行われたQS6000”ICHINOMIYA CHIBA OPEN”で9位と好調なスタートを切り、現時点でQSランキング2位と、来シーズンのCT入りの可能性を十分に秘めたポジションをキープしている大原洋人。

テレビや新聞社などの大手メディアにも注目を浴びるその華やかな活躍ぶりの裏側には、知られざる苦労も多く存在する。

「世界を転戦していて一番大変なのは日本で体の面とかすごく気にして良くして海外に行っても、それをキープするための食事がすごく大変ですね」

わずかなミスが勝敗を分ける世界トップレベルのアスリート同士によるシビアな勝負において、トレーニングはもちろん、すべては万全な状態で試合に挑むべく食事は非常に大切な要素である。

「なので今は母親と一緒に試合に行って、日本食とか気にして作ってもらいながらやってます。お米を持って行って、試合の日とかはおにぎりを食べるようにして、なるべくパンとか良くないものは食べないようにしてます。」

Hiroto Ohhara welcome to MURASAKI Family!!! from colorsmag on Vimeo.

 

実際に世界のQSを転戦するのに掛かる経費は、一人で行った場合でも400万円強。

しかし、それを踏まえた上で、できる限りコーチを連れて行き、常に母親と共に世界を回る大原洋人の場合は、年間1000万円クラスの経費がかかることは容易に想像できる。

2015年にUS OPEN優勝という日本人初の快挙を成し遂げた際に、表彰台でのインタビューで「I gonna get some cars(賞金で車を何台か買おうかな)」と言って笑い飛ばし、世界中にインパクトを与えた大原洋人であるが、実際に彼自身が未だ自分の車を一台も持っていないのは、持たないのではなく、持てないからなのである。

「もう最後はほとんどというか、まったくお金が残らずに一年が終わってしまいますね。でも世界を回れるだけのお金はあるので本当にありがたいと思ってます。CTは目標というか、自分の道なので、お金を使うところはそこしかないですから。スポンサーもそのために協力してくれているし、それに応えられたらいいなと思ってます」

日本で生まれ育った日本人プロサーファーとして初のCTサーファーになるという前人未到の大きな目標に向かっていくそんな彼であるが、前例のないその道はまさに想像を絶するいばらの道そのもの。

しかし、それを切り開くべく突き進む大原洋人が夢を掴むうえで、今回正式にムラサキスポーツと契約を結んだ。

そのバックアップがさらなる起爆剤となることは間違いないだろう。


Hiroto Ohhara. Photo by Yasushi Photos.

 

6月はQS3000とQS10000に出場するべく、6/11の飛行機で南アフリカへと飛び立ち、その後カリフォルニアのトラッセルズでCT出場権をかけたHURLEYトライアルで優勝を狙い、そのままUS OPEN、さらにスペイン、ポルトガルでのQS6000、QS10000が続き、ブラジルでのQS6000に参戦するというハードスケジュールをこなす大原洋人。

そして最後はハワイでのトリプルクラウンでシーズンを終える予定となっている。

「欲をいえばUS OPENぐらいまでに、行けるか行けないかくらいの状態になりたいなと思ってます。US OPENまでにQS10000という大きな試合が2つあるので、そこでいい成績を残してより近づけたらいいのかなと思ってます。ツアー後半戦になってくるとCT選手がたくさん出てきたり、CT落ちしそうな選手たちが必死になってQSを回り始める時期になるから、その時に自分はあまり焦らずに試合に挑める状態でいれたらなと思ってます。」

日本人サーファーが抱き続けながらも実現できていないままの”夢”である日本人サーファーのCT入り。

ここにきてムラサキスポーツのさらなるバックアップを得て世界に挑み続ける大原洋人の本当の戦いは、まだまだはじめったばかりである。

そう。

ここからが本当の勝負!!

今こそ日本が一丸となる時!!

Go Hiroto!

GO Japan!!

 

 

 

 

 

yoge
サーフィン・プレビュー/吉田憲右著・泉書房、古都鎌倉ミステリー旅/吉田憲右著・コスミック出版など数々の書籍を発行し、2000年にTRANSWORLD SURFの外部スタッフとなったのをきっかけにメディア界に参入。 2001年から2009年10月まで月刊SURFING WORLDの編集部兼カメラマンとして勤務。 その経験と共に、第1回NSA東日本サーフィン選手権大会Jrクラス3位、2年連続THE SURFSKATERS総合チャンプなどテストライダーとして培ってきた経歴を活かし、サーフィンを軸としたスケートボード、スノーボード、ミュージック、アート全般をひとつのコーストカルチャーとしてとらえ、心の赴くままにシャッターを押し、発信し続ける。 >>>出版物 >>>プライベート撮影問い合わせ