Photos and texts by yasukaku.

オーストラリアのサーフカルチャーやその波に触れることなど、様々な目的で渡豪してくる人々。語学留学、サーフィン修行、ワーキングホリデーやビジネス、そして永住でこの地に居る者と多くの”カタチ”がある。ゴールドコースト近郊に住むサーファーたち、どのような環境でどのような仕事をし、”サーフィンと仕事を両立”させて生きているのか?この企画ではプロサーファーではないサーファーにも焦点を当て”サーフィンと仕事”、この2つのポイントにフォーカス!

サーファーにとって、と言うより、全ての人にとってボディメンテナンスはとても大切なことである。

身体の健康を保持できていなければ、その自分の現状に落胆し心も不安定となり、さらに深い所まで塞ぎ込んでしまう可能性がある。

軽い症状としては筋肉疲労や筋肉硬化などがあるが、痛みをこらえて無理をすれば、靭帯損傷、肉離れ、アキレス腱断裂などの長期的かつ日常生活にも支障を与えるような甚大な怪我へと発展してしまう恐れもある。

その対策としては、日々の食生活の見直し、的確で適度な運動、そして規則正しい生活リズムの構築といった生活習慣が大きな手助けとなる。

もちろん、それぞれに個人差があるので、自分にフィットしたアドバイザーと出会うことは必須なことだと言える。

特にスポーツ選手などは”身体が資本”となるので、定期的な体のメンテナンス、バランス調整をするために専属のトレーナーを付けてトレーニングをすることはとても大きな意味がある。強い身体を作り上げるというイメージだが、”壊れない身体”を作るということが重要だと考える。

その身体づくりに有効なものの一環として、鍼治療やマッサージが挙げられる。本日の主役は、サーフィンをこよなく愛した鍼灸師のお話を記そうと思う。

入水前に軽めのストレッチをし、自分の身体の調整をする。
ディーバーの波も透き通る青が美しく、バラエティに富んだ波が入ってくる。

彼の名は清水海志(Kaishi Shimizu/29歳)。

大阪府八尾市出身で日本在住時は、磯ノ浦(和歌山)や国府の浜(三重・伊勢)をホームとし、時には日本海側の鳥取へと片道3時間、伊良湖(愛知)なら下道で4~5時間のドライブながら、良い波を求めて車を走らせていた。NSA等のコンペに出場しながら、色々な出会いがあり、QuiverとRONIN、釜あげしらす山利、AKARI WORKS(ヘアサロン)、RISING FORCE(ボートサーフィン)などからのスポンサーが付いていった。

かつて、サーフショップはTricky Surfに所属していたが、今は自分に合うボードを追求するため、様々なブランドのサーフボードを試している。

サーフィンを始めたのは高校の頃、当時はサッカーに没頭していたのだが、父(淳哉氏)がサーファーであったこともあり、16歳の頃から徐々にサーフィンにのめり込んでいった。週末はサーフィンの師匠である父とお気に入りのハイエースに車泊しながらサーフィンへ行くこともよくあり、彼が足しげく海へ向かうようになったのも父親の影響だった。高校卒業後はトヨタのベアリング会社に1年ほど勤め、その後、鍼の専門学校へと通い始めた。

ここから彼の”サーフィンと鍼灸師”のストーリーが始まったのだ。

父の友人サーファーであった梶浦鍼灸院の医院長(梶浦慎一氏)との出会いもあり、専門学校で学びながら、その医院長のもとでアルバイトからスタートし実践を高めながら4年が過ぎていった。その後、渡豪前の4年間、地元で分院長を任せてもらうまでになった。

そこでは、分院に多くの人に来院してもらおうと考えを行動に移し尽力した。そこでの経験や医院長の教えは今の自分の治療スタイルとなっている。

「今、自分が鍼灸師として居られるのも、梶浦医院長のお陰だ」と感謝の言葉を口にしていた。

グーフィースタンスから繰り出される軽やかで鋭いリッピング
湾状に入ってくる癖のある波に対応し、スラッシュ気味にリップへヒット


では、なぜオーストラリアに住もうとしたのか?彼はこう話をしてくれた。

実は、宮崎での分院開設の話もあったのだが、新婚旅行でオーストラリアに訪れたその時、先にOZ Lifeを送っていた友人と話をする中で、旅行ではなく”その地に住んで生きる”という選択肢に気付かされた。日本に帰国後は、随分と悩み考え、医院長とも相談を重ね、最終的には宮崎に行くことを断念し、渡豪する道を選んだのだ。

医院長もサーファーであったからこそ、彼の想いを尊重してくれたと言う。

ゆっくりとパワーを保ちながら盛り上がる波を上手く掴み、技のタイミングを見る
レールをしっかりと波に入れながら走り、ピールしてきたリップにきっちりと当てる






2024年、彼は奥様(みーちゃん)とここオーストラリア・ゴールドコーストにワーキングホリデービザを取得し来豪した。

もちろん、ゴールドコーストの海の美しさ、そしてパワーのあるバラエティに富んだ波に感動した。

その美しい海で、夫婦共々サーフィンを楽しんでいる。奥様も日本に居る時よりもサーフィンにハマっているそうだ。

オーストラリアに住むには、ビザが必要。彼は最初からワーホリビザ(2年目)の更新を考えていたため、来豪して早々にファームワークのためにコフスハーバー(NSW州)へ入り、1ヶ月半のブルーベリーのピッキングワークをし、その後一度ゴールドコーストに戻った。

そこで、鍼灸師の仕事を口コミで広げ、また収穫の時期が来た際にコフスへ戻り、今度はブルーベリーのパッキングワークにてビザ申請日数3ヶ月を満たし、今2年目をスタートしている。現在の法律によると、ワーホリビザ(3年目)の更新が可能という事だが、さらに6ヶ月のファームワーク(それに準ずる指定ジョブ)を消化する必要があるとの情報である。法律や内容は突然の変更等もあるので、しっかりと自分の状況に合った情報をアップデートすることが必要である。

この他にも今までやった事のない仕事をやることとなったが、やはり自分には”鍼灸師という仕事が一番性に合っている、それが純粋に好きな仕事なんだ”ということを渡豪することによって再確認ができた。

彼はサーファーであり、鍼灸師である。

いつも穏やかで優しい笑顔を持った彼、海の中では、俊敏なスナップを繰り出すアグレッシブなサーフィンを魅せてくれる。

”一鍼入魂”の一打、深いところに刺激を与え、早期回復を図る
筋肉をしっかりと伸ばし、柔軟で広い可動域の確保を促す

サーフィン大国であるオーストラリアには、マッサージ師や鍼灸師の需要は多い。

なぜなら、世界各国から波を求めてサーファーがやってくる。ゴールドコーストには世界的に有名なサーファーたちが集まってくるのだ。

もちろん、日本人プロサーファーも多く訪れ、そのサーファーたちは、肉体疲労の緩和が必要とされるため、鍼治療、メディテーションセラピー、ブラジリアンフィジオセラピー、リラクゼーションマッサージなどその種類も様々である。

しかし、自分の身を預ける施術師は母国語が通じ、腕が立つという噂や実績のある方に頼みたくなる。

彼はすでにオージーやプロサーファー、もちろん一般の方々の施術を数多くこなしており、地道に口コミでどんどんと広がっている。

”腕に職ありは身を助く”という言葉、今やもう昔の話?いやいやそれは、現代でも変わりのない事実なのである。

彼は、店舗を持たずにクライアント宅へのモバイルマッサージのスタイルで運営をしている。

他にもカジュアル(アルバイト)ワークを持ち、この鍼灸師としてのワークバランスを取ったシフトを組み、週4日ほどサーフィンをする、まさに”サーフィンライフ”を満喫しているのだ。

鍼治療後、身軽になった笑顔の伊東李安琉プロとのワンショット。写真提供 @k.b.conditioning
松田詩野プロ、オーストラリア滞在中にリピートして施術を受けた。写真提供 @k.b.conditioning

人それぞれの考え方とやり方が幾通りもある。

先人と同じやり方でその時間を楽しむ者、新たな何かを見つけ自分なりのやり方を実行する者、国が変われば、その常識は非常識になることもある。

試行錯誤し、人生の中の1年間を、数年間を、もしかすると一生をどのように生きるのかは”自分”が決めれば良い。

なぜなら、責任も全て、自分のものなのだから。

今後も出会った多種多様、様々なサーファーの生き方やライフスタイルを”Surfingと仕事”という観点から皆様にお伝えしようと考えている。

写真と言葉で残す、あなたのOZ Life、次は、どなたが語ってくれるのか?

語って頂きたい、あなただけのストーリーを…。

DHD DNA 5’8 1/2 x 18’ 9/16 x 2’ 1/4, 24.6L
Rider: Kaishi Shimizu, 172cm, 64kg

お問い合わせ:鍼治療・マッサージ @k.b.conditioning


編集者プロフィール:加倉井靖典
サーフィン雑誌 SURF1stの編集ライターを経てフリーになりBlue.やSurfing Life、そして女性誌等を手掛けてきた。現在オーストラリアのGCに在住しバーテンダーをやりながら、写真と編集で瞬間を切り撮り、それを発信し続けてている。
Instagram : @yasukaku @grandfphotography

yoge
サーフィン・プレビュー/吉田憲右著・泉書房、古都鎌倉ミステリー旅/吉田憲右著・コスミック出版など数々の書籍を発行し、2000年にTRANSWORLD SURFの外部スタッフとなったのをきっかけにメディア界に参入。 2001年から2009年10月まで月刊SURFING WORLDの編集部兼カメラマンとして勤務。 その経験と共に、第1回NSA東日本サーフィン選手権大会Jrクラス3位、2年連続THE SURFSKATERS総合チャンプなどテストライダーとして培ってきた経歴を活かし、サーフィンを軸としたスケートボード、スノーボード、ミュージック、アート全般をひとつのコーストカルチャーとしてとらえ、心の赴くままにシャッターを押し、発信し続ける。 >>>出版物 >>>プライベート撮影問い合わせ