Interview&Text by Jun Takahashi Photo by Yasuma Miura Movie by Hajime Aoki Yossy’s riding footage by Kenji Iida.

 

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海辺にあるブランドのコアな背景に迫る人気連載企画、「#BILLABONGCORE」。第3回目はサーフタウンとして名高い、千葉・一宮のサーフボードメーカー、そしてサーフショップである「CHP(カルホルニアハワイプロモーション)」を紹介しよう。その歴史は日本サーフィン史とも大きく重なる、老舗中の老舗だ。

完結編のパート2では、80年代のエピソード、サーフボードのこと、ブランドの思いなどをお伝えする。世界を舞台に活躍したレジェンドでありCHPアドバイザーの岡野教彦さん、CHP創業者・中村一巳さんのDNAを受け継ぐシェイパーの中村大輔さん、サーフィンの楽しみを広く伝えるCHPプロライダー&アドバイザーの吉川共久さん、そして2代目代表の中村新吾さんにお話を聞いた。

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CHP(カルホルニアハワイプロモーション)とは?

1960年代より日本のサーフィンの発展に寄与してきた中村一巳さんが、日本に本場・アメリカのサーフィンとサーフボード作りを伝えた人物、タック・カワハラさんと手を結び、1976年に千葉・一宮で創業したサーフボードメーカーとサーフショップ。それから40年以上に渡り、品質、性能、美しさにこだわり抜いたサーフボードを提供し、一宮の海辺から、多くのサーファーたちのサーフィンライフをサポートし続けている。

※パート1とメンバーのプロフィールはこちらからチェック!

>>【#BILLABONGCORE】Vol.3 Part.1  CHP カルホルニアハワイプロモーション(千葉・一宮)

Captured image: Hajime Aoki

岡野教彦さんに聞く、昔のエピソード

ビラボン(以下B):教彦さんは長年に渡って CHPに携わってきました。印象深かった出来事をお聞かせください。

岡野教彦さん(以下N):80年代のプロサーフィンが盛んになってきた当時、CHPはタウン&カントリーを扱っていたから、ASP(現WSL)の丸井の大会があるとデーン・ケアロハとかマーチン・ポッターとか海外の選手がお店に来ては集まって、飲んだり食べたりしました。彼らからいろんな話を聞けたりして、一緒にサーフィンもできて。それはすごくいい思い出だし、CHPの歴史においてはとても良かったことですよね。

B:昔から世界のプロサーファーとの交流があったんですね。

N:逆にハワイに行けば、みんなデーンたちにお世話になってね。デーンと海で知り合いでいられると、ノースショアの海の中ではすごく違うからね(笑)。それはとても恵まれたことだったと思いますよ。会長の中村(一巳)さんが、古くからタック・カワハラさんと知り合っていた関係で、CHPはタウン&カントリーを取り扱うことになった。タウン&カントリーという会社ができる、もっと前からの繋がりですよね。だからやっぱり、歴史っていうのは大事ですよね。

B:ビラボンとのエピソードはありますか?

N:オーストラリアの大会「スタビーズ」に出たときにビラボンの人と知り合って、会社の倉庫に連れていってくれたことがあります。「お前ら日本のトップサーファーなんだから好きなもの持っていけ!その代わり、日本で着て流行らせてくれ」って(笑)。それでどっさり貰って帰ってきた思い出がありますよ(笑)。ブランドが始まって何年かしか経っていなくて、まだ倉庫も小さかった頃です。

B:その頃のビラボンはどんな印象でしたか?

N:洒落た感じでやってるなと思った。海で履くボードショーツもそうだけれど、陸で履くショーツなんかは形が短めで、横のカットとかもなくて格好よかったですよ。今でも覚えてる1枚は、陸用のブルーのクラシックな形のショーツ。ウェストがボタンでもマジックテープでもなくて、フックとファスナーで。丈があまり長くなくて形がよかった。それはめちゃくちゃ気に入って履いていました。

B:昔から今まで、CHPが変わらないことはなんですか?

N: CHPに集まってきているサーファーたち、スタッフもお客さんも、純粋にサーフィンが好きな人たちが集まっていますね。それは昔も今も一緒ですね。

18歳でプロサーファーとなり、1977年に全日本チャンピオンに輝いた後、世界の舞台で活躍した教彦さん。現在はCHPアドバイザーとしてサーフィンの楽しさを広めている。写真は80年代中頃、志田下にて。 Photo: Jun Takahashi
教彦さんは、オーストラリアで開催されていた世界のトップサーファーによる招待大会「スタビーズ」にも参戦。日本人最高位の9位入賞という結果を残した。写真の日本チームは、右から添田博道さん、教彦さん、カメラマンの佐藤傳次郎さん。左から増田昌章さん、抱井保徳さん。 
Photo: Jun Takahashi

 

CHPのサーフボードと日本のサーフシーンについて。 

シェイパー、中村大輔さんの声

 

創業者、中村一巳さんのDNAを受け継ぎ、シェイパーとしてCHPを支える大輔さん。確かなサーフィンのスキルと世界を旅して得た経験、日本人ならではの繊細な職人技を融合させて、高性能なサーフボードを生む。

 

抜群のセンスを持つプロサーファーとして活躍した大輔さん。90年代初頭、すでにエアーを決めている。同時期の広告写真は右から大輔さん、スチュワート・ベッドフォード・ブラウン、デーン・ケアロハ、マット・アーチボルド、ジョン・シムーカという当時のT&C、CHPチーム。 Photo: Jun Takahashi

 

B:CHPのサーフボードの特徴を教えてください。

中村大輔さん(以下D):先代の父親が立ち上げたときには、サーファーに対して優しいサーフボード作りがテーマだった。でも、 CHPからはチャンピオンも出ているし、いろいろな外国の選手が所属している時期もあったりと、最先端のものも作る。だけど基本的には、お客さんにとって優しいサーフボードです。日本人だから出せるクオリティを自負しながら、職人みんなで作っています。

B: CHPは日本のサーフボード作りにおける、「老舗」というイメージが大きいですよね。

D: 2代目だからね。父親がいて、その息子がシェイパーをしているという歴史も特徴的かな。

B:大輔さんはキッズの頃からサーフシーンで活躍してきました。時代の変化として何を感じますか?

D:今は、サーフィンすることを応援してくれる親がいる時代ですよね。僕が子供の頃は、同級生の仲間でサーファーの親がいるということはほとんどなかった。サーフィンはスポーツとかレジャーとして定着して、より家族や人生を豊かにするものになっている。アメリカやオーストラリアは、昔からサーフィンが暮らしに密着していて、地域にクラブがあったり練習試合みたいなことをやっているけれど、そういう形に段々と近づいてきているのかなと、面白いなと思っています。

B:では、大輔さんが思う日本のサーフシーンの課題は?

D:全体的には高齢化してるから、若い子たちとコンタクトを取り合って、職人さんもサーファーも育てなきゃいけない。いろんな感性を持った子を育てていかなければいけないということは、これから取り組んでいくべき課題のひとつだと思ってます。

 

CHPが伝えるサーフィン。

プロライダー・吉川共久(ヨッシー)さんの思い

サーファーのみならず、様々な人が交流するアトランティックコーヒースタンドを営みながら、CHPアドバイザーとして活躍しているヨッシーさん。サーフィンの自由なフィーリングを体現するプロサーファーだ。Photo: Pak Ok Sun 

 

トラックとスプレーが美しい、ドライブ感溢れるヨッシーさんのカービング。ボードは山崎市朗さんシェイプのツインピンテール。サーフィンを心より楽しみながら、多くの人にそのピュアな喜びを伝えていく。Photo: Pak Ok Sun

 

B:ヨッシーさんはどのような思いでプロサーファーとして活動されていますか?

吉川共久(以下Y):僕はサーフィンの幅広さ、楽しさをたくさんの人に伝えたいです。見るだけでも「楽しそう!」とか、「なにあれ!?」だったりという驚きに変えて、サーフィンの入り口の間口を広げたいという思いで、プロサーファーとして頑張ってやっているつもりです。その意義をCHPは認識してくれて、応援してくれているブランドだと思っています。

B:サーフィンの何がこんなに楽しいんでしょう?

Y:やっぱり気持ちよさ。自然と調和する気持ちよさというのは毎回違うし、ワクワクというのが止まらない。いつまでもそういう気持ちを継続できるし、向上心も果てしなく続いていくものなので。

B:楽しい気持ちが止まらないですよね!

Y:サーフィンの楽しさはやってみればわかると思いうし、やり続けないとわからないとも思う。はっきりした答えはないんですけれど、いつも自然との調和という素晴らしいことに気づかされるのが、サーフィンの大きな魅力だと思います。

 

CHPが大切にすること

取材当日に集まってくれた、CHPを支えるメンバー。左から河野正和さん、岡野功さん、中村大輔さん、岡野教彦さん、中村新吾さん、河野留偉さん、吉川共久さん。CHPはスタッフもお客さんも大きなファミリー。

 

「ONLY A SURFER KNOWS THE FEELING(サーファーだけが知るあの感覚)」を大切に、サーフィンの歴史、ユニークな個性、そして楽しさを次世代に伝えていくブランドとして共鳴するCHPとビラボン。ショップでは、ビラボンの最新アイテムが常時ラインナップしている。

 

B:新吾さんにお伺いしたいのですが、CHPが大切にしていることはなんでしょうか?

中村新吾さん(以下 S):ボードメーカーとしては、ユーザーの方が、サーフィンがより一層楽しくなるようなサーフボードを提供し続けていくことがまず第一。サーフショップとしては、来てくれるみんなのサーフィンライフをどう応援していくか、どうバックアップできるかをつねに考えています。お店の色と同じように、オレンジ色の温かいオープンマインドなお店でいたいなと思っています。

B:ビラボンも、CHPのお店に置かせていただいています。

S:次のジェネレーションの子たちが格好いいというものを僕らは見せていかなくてはいけないし、提案していかなくてはいけない。今、ショップでビラボンを取り扱わせてもらっているというのは、僕のジャッジというよりも、若い子たちの意見が大きかった。それだけ長い間、サーフアパレルとして君臨しているブランドなんだなと改めて実感しました。

B:ありがとうございます。続けるって、大事ですね。

S:「KEEP ON SURFING」ですよ。いつでもサーファーたちのそばにいて、いつまでもサーフィンができるように応援してあげられればいいのかな、そうありたいなとずっと思っています。これから先も。

写真中央のスーツにノーネクタイの方がCHP創業者の故・中村一巳さん、その右隣りが、本場アメリカのサーフボード作りを最初に日本に伝えたサーファー、タック・カワハラさんだ。こうして日本にモダンサーフィンの種は蒔かれた。一巳さんはサーフィンのために力を尽くし、その芽は今や大きく繁った。Photo: Courtesy of CHP

 

創業から40年以上、変わることないCHPのロゴマーク。日本のサーフィン史とともに歩んできた老舗サーフボードメーカー、サーフショップとして、いつまでもサーフィンを愛するサーファーを応援し続けていく。

<おわり>

 

SHOP INFORMATION

ショップインフォメーション

CHP(カルホルニアハワイプロモーション)本店

365日オープンしている、明るいオレンジ色のメインショールームは、一宮の海岸通り沿い、サンライズポイントの目の前にある。メーカーであるCHPのこだわりは、何と言ってもサーフボード。その品揃えは圧巻だ。岡野功、中村大輔がシェイプする「CHPサーフボード」、レジェンダリーシェイパーである山崎市朗によるトランジション、ロングボードラインの「サンウェイブ」。海外ブランドではワールドチャンピオンのガブリエル・メディナが乗っていたことで知られるスペインの「プーカスサーフボード」、テーラー・ノックスがライダーを務める「ボーストデザイン」など、最先端のショートボードからファンなボードまで、ニーズに合わせて幅広いラインナップを誇る。広い店内にはサーフアクセサリー、最新のサーフウェアも充実している。また、岡野教彦、河野正和、吉川共久らが講師のサーフレッスンは、目指すスタイル、レベルに合わせて丁寧に教えてくれると大好評。道具がなくても、ひとりでも対応してもらえるので、気軽に相談してみよう。

ADDRESS: 〒299-4303 千葉県長生郡一宮町東浪見7428-3

 

TEL: 0475-42-4628

WEB: https://www.chp.surf

<What is「#BILLABONGCORE」? / ビラボンコアとは? >

ビラボンは、1973年に創始者であるゴードン・マーチャントがつくり出した良質なボードショーツが、ローカルサーフショップから全世界へ広まっていったのが始まりです。グローバルブランドへと成長を遂げた今も、「Only a surfer knows the feeling(サーファーだけが知るあの感覚)」というフレーズとともに、サーフィンを愛するシンプルなスピリットをもっとも大切にしていることは変わりません。流行の移り変わりが早いこの時代だからこそ、サーフカルチャーを育み続けている、海辺のボードメーカーやサーフショップの背景にある“歴史”という揺るぎない価値、核(コア)を見つめ直し、改めてその魅力を伝えるべく生まれたコンテンツが「#BILLABONGCORE」です。サーファーたちのユニークな伝統を紡いでいくことは、世界のサーフシーンを長きに渡り支えているビラボンの役割であると考えています。

yoge
サーフィン・プレビュー/吉田憲右著・泉書房、古都鎌倉ミステリー旅/吉田憲右著・コスミック出版など数々の書籍を発行し、2000年にTRANSWORLD SURFの外部スタッフとなったのをきっかけにメディア界に参入。 2001年から2009年10月まで月刊SURFING WORLDの編集部兼カメラマンとして勤務。 その経験と共に、第1回NSA東日本サーフィン選手権大会Jrクラス3位、2年連続THE SURFSKATERS総合チャンプなどテストライダーとして培ってきた経歴を活かし、サーフィンを軸としたスケートボード、スノーボード、ミュージック、アート全般をひとつのコーストカルチャーとしてとらえ、心の赴くままにシャッターを押し、発信し続ける。 >>>出版物 >>>プライベート撮影問い合わせ