Interview&Text by Jun Takahashi Photo by Yasuma Miura Movie by Hajime Aoki Rui’s riding footage by Shigeru Nakashin

 

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海辺にあるブランドのコアな背景に迫る人気連載企画、「#BILLABONGCORE」。第3回目はサーフタウンとして名高い、千葉・一宮のサーフボードメーカー、そしてサーフショップである「CHP(カルホルニア ハワイ プロモーション)」を紹介しよう。その歴史は日本サーフィン史とも大きく重なる、老舗中の老舗だ。

全2回のうちパート1は、ブランドの成り立ち、ホームポイント・サンライズのことなどについて。創業者である故・中村一巳さんの意思を引き継ぐ2代目の中村新吾さんと、3度のJPSAグランドチャンピオンという輝かしい経歴を持つアドバイザーのズッチョさんこと、河野正和さん、そしてズッチョさんの愛息子であり、次世代を担うCHP&ビラボンライダーの河野留偉さんにお話を聞いた。

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<プロフィール>

中村一巳

なかむら・かずみ/1938~2009年(享年71歳)。1960年代半ばから国産サーフボード製造に携わり、日本サーフィン連盟創設に尽力した日本サーフィン界のパイオニア。1976年、千葉県一宮町にてCHPを創業した。

(上写真左から)

河野正和

こうの・まさかず/1969年生まれ。CHPアドバイザーとして店頭に立ち、多くの人にサーフィンの喜びを広めながら、JPSA理事としても活躍する。1997年、2001年、2002年のJPSAグランドチャンピオン。

岡野功

おかの・いさお/1961年生まれ。安定感と乗りやすさで絶大な人気を得ているCHPのメインシェイパー。パイプライナー、プロサーファーとして活躍した経歴を持ち、JPSA、WSLのプロジャッジも務める。

岡野教彦

おかの・のりひこ/1956年生まれ。CHPアドバイザーとして、主にスクールの講師を務める。18歳で日本初のプロサーファーとなり、1977年に全日本チャンピオンに輝いた後、世界の舞台で活躍したレジェンド。

中村新吾

なかむら・しんご/1964年生まれ。父・一巳さんの長男として、CHPを受け継ぐ2代目代表。幅広い見地と行動力でブランドを切り盛りすると共に、訪れる誰もが安全に楽しめる、一宮地域の海の環境づくりに勤しむ。

中村大輔

なかむら・だいすけ/1967年生まれ。幼少からサーフィン、スケートボードで数々のタイトルを獲得。稀有なセンスと、世界を旅した経験を融合させて独創的なボードを作り、兄・新吾と共にCHPを支えるシェイパー。

吉川共久

よしかわ・ともひさ/1975年生まれ。プロとしてJPSAを中心にツアーを転戦。その後、より自由にサーフィンの楽しさを伝えるべく、アトランティックコーヒースタンドを営みながらCHPアドバイザーとして活躍中。

河野留偉

こうの・るい/1997年生まれ。河野正和さんの長男、そして次世代を担うCHP&ビラボンライダー。NSAや学連のコンテストではファイナル常連。大学に通いながら、プロサーファーを目指して日々練習に励んでいる。

 

CHP(カルホルニアハワイプロモーション)とは?

1960年代より日本のサーフィンの発展に寄与してきた中村一巳さんが、日本に本場・アメリカのサーフィンとサーフボード作りを伝えた人物、タック・カワハラさんと手を結び、1976年に千葉・一宮で創業したサーフボードメーカーとサーフショップ。それから40年以上に渡り、品質、性能、美しさにこだわり抜いたサーフボードを提供し、一宮の海辺から、多くのサーファーたちのサーフィンライフをサポートし続けている。

 

CHPのはじまり

ビラボン(以下B):CHPはどのようにしてはじまったのですか?

中村新吾さん(以下S):父である中村一巳が、千葉の蘇我町の自宅にカフェを作って、そこの出入り口に、本当に小さい規模でサーフボードを並べたのが最初です。「サーフショップなかむら」という名前でスタートしました。

B:そんな歴史があるんですね!

S:そのとき父はまだサラリーマンをしていました。でも脱サラをして、カリフォルニアに行ってサーフボードを作りを勉強してから、一宮でCHPをはじめたんです。

B:名前の由来を教えてください。

S:自分たちのサーフボードと共に、縁があったカリフォルニア、ハワイのサーフボードを広めていくという意味です。父がサーフボード作りを教わった日系カリフォルニアンのシェイパー、タック・カワハラさんが、ハワイのサーフボードブランド「タウン&カントリー」との繋がりを生かして、カリフォルニアで「カルホルニア ハワイ プロモーション USA」というサーフショップをはじめて。そしてほぼ同時期に、父も同じ名前でオープンしました。

CHPの前身、「サーフショップなかむら」。右から、当時サラリーマンと二足の草鞋を履いていた一巳さん、大輔さん、左から母、智子さん、新吾さん。アフロヘアはラリー・バートルマンだ。歴史を物語る貴重な1枚。 Photo: Courtesy of CHP

開店当初の一宮店舗。カリフォルニアの名門、デューイ・ウェーバーのシェイパーだったタック・カワハラさんと、中村一巳さんの親密な関係が看板から伺える。隣には地元の方のカフェ、その名もサンライズがあった。 Photo: Courtesy of CHP

 

B:一宮にお店を構えたきっかけはなんだったのでしょうか?

S:町の方で、古くから一宮のサーフィンに携わっている女性がいて、そのお父さまがこの土地を持っていました。その方から「ここでお店をやらないか?」とお話をいただいたのがきっかけです。その頃は今の店舗の半分くらいの大きさで、1階がサーフショップで2階がサーフボードの工場でした。

B:今ではすっかり一宮町に馴染んでいますよね。

S:長くやっている分、地域に根付いてきてくれていることがありがたいです。一宮の駅前でタクシーに乗った方が「サーフィンをしたいんだけれど、どこに行けばいいですか?」と尋ねたら、「ここらで一番古くからあるCHPというお店へ乗っけていくよ」と運転手さんが連れてきてくれたりするほど浸透してきています。嬉しいですよね。

サーフショップ・CHPの雰囲気。

河野正和(ズッチョ)さんの声

いつも笑顔のズッチョさん。優しく温厚な姿からは一見想像しがたい、グランドチャンピオンという過去を知り、驚くお客さんも。初心者からエキスパートまで、幅広くサービスを提供するCHPになくてはならない存在。 Captured image: Hjime Aoki 

JPSAグランドチャンピオンを獲得したズッチョさんのリッピング。自身のサーフィンのスキルと共に、抜群なサーフボードの性能も証明した。アマチュア時代を含めると、30年近くCHPのライダーとして活動している。Photo: Kenji Sahara

 

B:CHPに所属して何年になりますか?

河野正和さん(以下Z):28年になりますね。アマチュアからプロになった次の年にCHPにお世話になるようになったんで、もう長いです。今は選手としては現役を引退して、アドバイザーとして店頭で仕事をしています。波があれば朝にサーフィンをしてからお店に入りますね。

B: アドバイザーとして心掛けていることはなんですか?

Z:僕は誰とでも、初対面の人でも気さくに喋れるような気持ちをいつも持つようにしています。お客さんの声をダイレクトに聞けるのが楽しいですね。

B:お店はいつも明るくオープンな雰囲気ですよね。

Z:先代の会長(中村一巳さん)がウェルカムな感じの方だったので、その影響で、いろんな方が気軽に来やすい雰囲気になっていますよね。誰にでも「いらっしゃい!」みたいな感じです(笑)

B:お店はサンライズポイントの目の前なんですね。

Z:そう、場所もすごくいいところだと思うんですよ。波質的にいろんなサーファーが楽しめるポイントの真ん前なので、お店にも多くの方が来やすいのかなと思いますね。

 

中村新吾さんに聞く、ホームポイント・サンライズ

80年代初頭のお店から見た、サンライズポイントへ入るための駐車場の様子。30年以上経った今もここは駐車場。さまざまなスタイルのサーファーを受け入れてくれるオープンな雰囲気は、変わらず継承されている。Photo: Courtesy of CHP

 

平日で人もまばらなファンウェイブのサンライズ。だが週末になれば、人気ポイントということで混雑は必至だ。そんなときはひとつのピークに執着せず、海を大きく見渡して、人知れず割れている波を探してみよう。

B:サンライズの名前の由来はなんですか?

S:父がお店の前からタック・カワハラさんとふたりで波チェックに行ったときに、真っ正面から太陽が上がってきて、それで「サンライズ」という名前が決まったみたいですよ。

B:波の特徴を教えてください。

S:春先から秋にかけての、西まじりの風がオフショアになり、大きく分けると左側のポイント、正面、右側に分れています。ヘビーなロングウォールのときもありますし、イージーで乗りやすいときもありますし、初級者の方から上級者の方まで楽しめるポイントだと思います。

B:ほかにポイントとして特徴はありますか?

S:父が命名してから、ショートボード、ロングボードなどの制限なく、どういうスタイルでサーフィンをする人たちにも楽しんでもらえる形で守られていることも特徴ですよね

B:人気のポイントですよね。

S:波情報に載っていますから、メジャーです。だからこそ、地元で365日、事故がないように見守っていたり、ビーチクリーンだったり、そういうことを常日頃やっている人たちがいるということは、訪れる方々もやっぱり理解して欲しいと思います。

BILLABONGについて

ズッチョさんと、CHP&ビラボンライダーである長男の留偉さん。この日は居合わせられなかったが、次男の偉央さんももちろんサーファー。CHPは世代を超えて、サーフィンを楽しむ人を幅広く応援してくれる。

ショップにはサーフボードはもちろん、ウェアや小物も充実。ビラボンの最新アイテムも揃う。伝統を守りながらも進化し続け、現在のシーンを築く。その姿勢こそ、CHPとビラボンが同じく持っている核(コア)だ。

 

B:留偉さんにお伺いしたいのですが、自らライダーを務めるビラボンのどこに惹かれますか?

河野留偉さん(以下 R):シンプルでも格好いいところが魅力的です。ウェットスーツもあるし、アパレルもやっているので、両方でお洒落できるのがいいと思います。

B:CHP、ビラボンのライダーとして、どのような心構えでいますか?

R:サーフィンのレベルを上げるのはもちろんですけれど、普段の私生活から、こういう格好いいブランドがあるというのをみんなに伝えられたらいいなと思います。

B:今後、どんなサーファーになりたいですか?

R:「見てる人に格好いいと思ってもらったり、感動を与えるサーファーになりたいです」

留偉さんは、コンペシーンで頭角を現わしてきている期待のアップカマー。JPSAトライアルにも参戦し、プロ資格獲得に挑戦中。文武両道で、陸でも格好いいと憧れられるサーファーを目指し、日々努力し続けている。Photo: Masanori Furuta

 

今のシーンを築き上げて、最新のサーフィンを見せてくれるブランド、ビラボンのアイテムはCHPに欠かせない。「次のジェネレーションが格好いいというものを、僕らは提案していかなきゃいけない」と話す新吾さん。Captured image: Hjime Aoki

B:CHPにラインナップするブランドであるビラボン。新吾さんの思いをお聞かせください。

S:ビラボンといえばサーフアパレルの先駆者であるわけです。僕はいちサーファーとして、サーフショップとして、この業界に携わる人間として、今の世界のWSL、チャンピオンシップツアーを見られるのはこういう会社があってこそだということに、非常にリスペクトしますよね。 

<つづく>

 

SHOP INFORMATION / ショップインフォメーション

CHP カルホルニア ハワイ プロモーション

365日オープンしている、明るいオレンジ色のメインショールームは、一宮の海岸通り沿い、サンライズポイントの目の前にある。メーカーであるCHPのこだわりは、何と言ってもサーフボード。その品揃えは圧巻だ。岡野功、中村大輔がシェイプする「CHPサーフボード」、レジェンダリーシェイパーである山崎市朗によるトランジション、ロングボードラインの「サンウェイブ」。海外ブランドではワールドチャンピオンのガブリエル・メディナが乗っていたことで知られるスペインの「プーカスサーフボード」、テーラー・ノックスがライダーを務める「ボーストデザイン」など、最先端のショートボードからファンなボードまで、ニーズに合わせて幅広いラインナップを誇る。広い店内にはサーフアクセサリー、最新のサーフウェアも充実している。また、岡野教彦、河野正和、吉川共久らが講師のサーフレッスンは、目指すスタイル、レベルに合わせて丁寧に教えてくれると大好評。道具がなくても、ひとりでも対応してもらえるので、気軽に相談してみよう。

ADDRESS: 〒299-4303 千葉県長生郡一宮町東浪見7428-3
TEL: 0475-42-4628
WEB: https://www.chp.surf

 

What is「#BILLABONGCORE」? / ビラボンコアとは?

ビラボンは、1973年に創始者であるゴードン・マーチャントがつくり出した良質なボードショーツが、ローカルサーフショップから全世界へ広まっていったのが始まりです。グローバルブランドへと成長を遂げた今も、「Only a surfer knows the feeling(サーファーだけが知るあの感覚)」というフレーズとともに、サーフィンを愛するシンプルなスピリットをもっとも大切にしていることは変わりません。流行の移り変わりが早いこの時代だからこそ、サーフカルチャーを育み続けている、海辺のボードメーカーやサーフショップの背景にある“歴史”という揺るぎない価値、核(コア)を見つめ直し、改めてその魅力を伝えるべく生まれたコンテンツが「#BILLABONGCORE」です。サーファーたちのユニークな伝統を紡いでいくことは、世界のサーフシーンを長きに渡り支えているビラボンの役割であると考えています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

yoge
サーフィン・プレビュー/吉田憲右著・泉書房、古都鎌倉ミステリー旅/吉田憲右著・コスミック出版など数々の書籍を発行し、2000年にTRANSWORLD SURFの外部スタッフとなったのをきっかけにメディア界に参入。 2001年から2009年10月まで月刊SURFING WORLDの編集部兼カメラマンとして勤務。 その経験と共に、第1回NSA東日本サーフィン選手権大会Jrクラス3位、2年連続THE SURFSKATERS総合チャンプなどテストライダーとして培ってきた経歴を活かし、サーフィンを軸としたスケートボード、スノーボード、ミュージック、アート全般をひとつのコーストカルチャーとしてとらえ、心の赴くままにシャッターを押し、発信し続ける。 >>>出版物 >>>プライベート撮影問い合わせ