Interview&Text by Jun Takahashi. Photos by Yasuma Miura. Movie by Hajime Aoki.

 

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看板ブランドであるROCKDANCE(ロックダンス)をはじめ、国内外の超一流シェイパーによる最先端かつハイクオリティなサーフボードを40年ほどにわたって制作し続け、日本のサーフィン史とともにある湘南・平塚発の老舗サーフボードメーカー「ソエダサーフボードジャパン(SSJ)」。

80年代を中心にプロサーファーとして一世を風靡したカリスマ、そしてブランドの創始者である添田博道さんが、サーフィンとの出会いやボードづくりに対するこだわりなどフランクに語ってくれたお話しを、全2回に渡ってお届けしよう。

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添田博道さんのプロフィール

そえだ・ひろみち/1956年生まれ。神奈川県平塚市出身。幼い頃からコンペティターとして活躍し、日本プロサーフシーンの始まりを経験、1984年にはJPSAグランドチャンピオンに輝く。世界のコンテストでマーク・リチャーズ、ウェイン・バーソロミュー、デーン・ケアロハらトッププロたちと積極的に第一線で戦いながら、ノースショアのビッグウェイブでも注目を集め、国内外のサーフィン雑誌で誌面を飾り、数々のカバーショットを残した。その実力とサーフィンを愛する熱いこころで結びついたワールドワイドなコネクションを生かして、世界最高峰のサーフボードを創り出す「ソエダサーフボードジャパン」を設立してもうすぐ40年。多くのプロを育て、たくさんのサーファーたちにサーフボードを通して楽しみを提供しながら、長きに渡り日本のサーフシーンを支えている。

ロックダンスとは?

最高の素材と最高の技術により、乗り心地と美しさ、耐久性すべてにおいて世界屈指のハイクォリティを誇る、湘南・平塚発のサーフボードブランド。専属シェイパーの松本光二をはじめ、モーリス・コール、ウェイド・トコロ、パット・ローソンなど名だたるトッププロシェイパーが創造するサーフボードを、「マスターワークス」と呼ばれる熟練の職人たちがハンドクラフトで仕上げていく。プロライダーたちが常に波を探し求めて旅をして、またコンテストシーンでテストを繰り返すとともに、全国のユーザーたちの声に耳をかたむけ、そのフィードバックをもとに日本の波、日本のサーファーにフィットするマジックボードを生み出し続けている。

 

サーフィンとの出会いとSSJの立ち上げ

博道さんがまだ幼なかった頃の平塚はどんな雰囲気だったのでしょうか?

「昔は遊ぶものがほとんどなかった。娯楽としてあったのは、せいぜいデパートの屋上にある小さいゲームセンターと、海岸沿いの“袖が浜”っていう所にあったプールくらい。そのプールで泳いでると、その下でお兄さんたちがサーフィンをやってたんですよ。それを見て憧れましたね、サーファーのカッコ良さに。頭にロングボード乗っけて。当時は海外からの文化がまだ少なかったから印象がとくに強かったです」

物心ついたときにはサーフィンが地元の海にあったんですね。サーフィンを始めたのはいつですか?

「最初にやったのは小学校5年生くらいで、本格的に始めたのは中学1年生の4月から。1968年か69年頃かな。サーフボードは先輩から譲ってもらったアーニー・タナカっていう人のシェイプで、長さは7フィート少しくらい。ロングボードとショートボードの間、今だとミッドレングスとか言っているような板で海外のものです。サッカー部のランニングパンツでやりました。何しろ寒いのと、パーリングしたかなんかで頭が痛くなったのを憶えてますね(笑)。でも楽しい。すぐに病みつきになりました」

コンペティションにもすぐにハマったとお聞きしました。

「はい。とりあえずNSAの全日本が目標でした。このあたりは茅ヶ崎支部だったんですよ。中学生のときはジュニアで準決勝まで進出して、高校一年のときが3位、二年が2位、三年で優勝しました」

そこからプロサーファーへ、そしてサーフィンを生業にしていく流れを教えてください。

「高校を卒業してからサーフボードメーカーに就職して、1年経つか経たないかの頃にJSOっていうプロ組織ができたんです。それで上位に入ればプロになれるということになって。3位になってプロになりました。その頃は仕事をやりながら試合や撮影などのプロ活動。プロだけで生活するのはなかなか難しかった時代ですよね」


80年代前半、ホームのビーチにて。右から3番目が博道さん、その左隣りは同じく平塚に拠点を置く老舗ウェットスーツメーカー「DOVE」の創始者である戸倉康守さん。「サーファーの人口が少なかったから、同じメンバーが波の良い所に自然と集まってた」という古き良き時代。Photo: Mitsuyuki Shibata.

 


こちらも80年代、クラシックスウェルが訪れたホームブレイクにて鋭くボトムをドライブする博道さん。圧倒的なスキルとハードなアタックで、フリーサーフィン、コンテスト問わず、日々マニューバーとサーフボードを進化させ、プロサーファーとして一時代を築き上げた。Photo: Hiroyuki Fujisawa

 

ソエダサーフボードジャパン(以下SSJ)を立ち上げるきっかけは?

「自然な流れでね。仕事をクビになったからだと思います」

そうだったんですね……。差し支えなければ理由を教えてください。

「それは……サーフィンをして仕事しなかったからじゃないですか?それで『どうしようかな?どうせなら自分で板を作ろう』と思ってソエダサーフボードジャパンを始めました。22歳のとき。早い独立ですよね。だからもう40年近く経つ。長いです。そういう風になってしまいました(笑)。最初はシェイプだけ自分でやって、巻き(ラミネート~仕上げの下請け)に出してたのかな。そのボードで試合に出たり、海外の遠征へ行ってましたね。そうして賞金を稼いで、服とウェットのスポンサー支援を受けて、冬はできるだけハワイにいましたね。そしてその頃、冬はノースショアにいるっていうのが恒例になっていました」


ブランド初期に博道さん本人がハンドシェイプした貴重なサーフボード。世界のトップシェイパーのボードに乗った際、格段に調子が良かったためシェイピングはすぐにやめてしまったとのこと。だがその判断が、世界中から集めた最高品質のボードを提供するというSSJのスタイルを生んだ。Photo: Courtesy of SSJ.

 


プロ全盛期、国内外で大活躍を果たした。とくにノースショアには強い思い入れを持ち、毎冬チャージを繰り返していたという。その実力があったからこそマーク・リチャーズやモーリス・コール、ウェイド・トコロ、パット・ローソンらトップシェイパーとのリレーションシップが生まれた。

 

大きなサーフボードファクトリーを構えてからは、どういう心持ちでしたか?

「プロとして活動しながら、25~26歳でスタッフをかかえて工場をやったのかな。そりゃ大変ですよ。人さまにやっていただくわけだから、自分勝手にはできない。大切なのは、『ありがたい』という気持ちじゃないですか?あとはバランスだろうね。自分ひとりじゃ限界がありますからね。また人数が多すぎても大変だし。難しいんですよ、この仕事は。続けていくのが。みんな伸びたり縮んだり簡単にできるものじゃないですから」

 

 

<つづく>

 


ロックダンス ショールーム INFORMATION of ROCKDANCE SHOWROOM

平塚・生コンポイントが目の前という抜群の立地で、勢ぞろいするニューモデルをすぐに試乗することが可能。そして海上がりに的確なアドバイスを受けられるという、マジックボードを手にするためのすべてがここにある。プロライダーの活動、モーリス・コール来日シェイプの予定などの最新情報はブログ(http://rockdance.co.jp/blog/)でチェックしよう。併設するBILLABONG STORE OCEANSIDEHIRATSUKA(ビラボンストア オーシャンサイド 平塚)では、プロショップ限定のビラボンアパレルコレクションライン、ダ・カイン、ボン・ジッパーなどすべての最新サーフギアがそろう。2階では、お値打ちなアウトレット商品も販売している。

ADDRESS: 〒254-0803 神奈川県平塚市千石河岸56-5 SIMSビル西

TEL: 0463-79-6005

WEB: http://rockdance.co.jp

<ビラボンコア・インフォ>

ビラボンコアとは? What is「#BILLABONGCORE」?

ビラボンは、1973年に創始者であるゴードン・マーチャントがつくり出した良質なボードショーツが、ローカルサーフショップから全世界へ広まっていったのが始まりです。グローバルブランドへと成長を遂げた今も、「Only a surfer knows the feeling(サーファーだけが知るあの感覚)」というフレーズとともに、サーフィンを愛するシンプルなスピリットをもっとも大切にしていることは変わりません。流行の移り変わりが早いこの時代だからこそ、サーフカルチャーを育み続けている、海辺のボードメーカーやサーフショップの背景にある“歴史”という揺るぎない価値、核(コア)を見つめ直し、改めてその魅力を伝えるべく生まれたコンテンツが「#BILLABONGCORE」です。サーファーたちのユニークな伝統を紡いでいくことは、世界のサーフシーンを長きに渡り支えているビラボンの役割であると考えています。

 

 

 

 

yoge
サーフィン・プレビュー/吉田憲右著・泉書房、古都鎌倉ミステリー旅/吉田憲右著・コスミック出版など数々の書籍を発行し、2000年にTRANSWORLD SURFの外部スタッフとなったのをきっかけにメディア界に参入。 2001年から2009年10月まで月刊SURFING WORLDの編集部兼カメラマンとして勤務。 その経験と共に、第1回NSA東日本サーフィン選手権大会Jrクラス3位、2年連続THE SURFSKATERS総合チャンプなどテストライダーとして培ってきた経歴を活かし、サーフィンを軸としたスケートボード、スノーボード、ミュージック、アート全般をひとつのコーストカルチャーとしてとらえ、心の赴くままにシャッターを押し、発信し続ける。 >>>出版物 >>>プライベート撮影問い合わせ