Photos & Text by colorsmagyoge.

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Kaishu Tanaka.

 

田中海周。

鴨川のマルキで開催された

2014年JPSA最終戦”24 SURF presents 鴨川Nao Pro”において見事優勝を果たし、

colorsmagとしては間違いなく日本のトッププロサーファーとして

認識している素晴らしいサーファーのひとり。

そんな彼が今年ハワイのパイプラインで開催された

WSL QS3000″VOLCOM PIPE PRO”のラウンド2のヒート12でみせた

パイプラインのセットを掴んでメイクしたチューブは、

本当に心に残る一本だった。

その波は、セットであったにも関わらずアウトでブレイクせず、

手前の棚にヒットして恐ろしいほどダブルアップし、

万が一テイクオフでミスしようものなら海底に潜む浅いリーフに叩き付けられ、

ただでは済まないであろうことは安易に予想できるほど

恐ろしく美しい波であった。

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Kaishu Tanaka’s 1st PIPELINE barrel.

 

結局のところ、このライディングについたスコアは4.50ptと

世界基準を改めてわからされるような評価となり、

ラウンドアップとならなかったわけだが、

ヒートを終えた後の田中海周と偶然にもVOLCOM HOUSE前の道で

ばったり会ったときに、あの一本は感動したことを伝えると、

なんとそのパイプの波は、田中海周にとって初めてのパイプの波だったことを

本人の口から聞いて、さらに驚いてしまったのだった。

そう言われてみれば、ここ数年間毎年ハワイに通い続けているが、

田中海周といえばバックドアかOTWといった印象が強い。

そんなことに思いを馳せていると、数年前のとある年に、

カメラを片手にOTWへ撮影へ向かう途中で、

海上がりでボードを片手に自転車をこぐ田中海周に

偶然ばったり出会った日のことを思い出した。

その頃は、もちろんすでに田中海周というサーファーのことは知っていたが、

まだお互いあまり面識のないときで、思い切ってこちらから声をかけてみると、

振り返った田中海周の顔面は傷だらけで、

おまけに頬の辺りがひどく腫れていたのである。

何事かと思い、どうしたの?と聞いてみると、

「OTWのダンパーチューブに突っ込んで潰されてリーフに顔面を叩き付けられました」

と、へっちゃらそうに言うのであった。

しかし、その様子はどう見ても平気そうでなく、

現実的にその後数日間、打撲のせいか、もしくは切り傷からばい菌が入ったのか

定かではないが、海周は熱を出して寝込んでしまったと

あとから他の誰かの口から聞いた。

もし自分がチューブに突っ込み、海周のような怪我を負ってしまったら

もう2度とそこではサーフィンしたくないと思うだろうし、

夢で見るほどサーフィンというものに対して新たな恐怖を植え付けれて

トラウマになるに違いないと思う。

しかし、その日以来、そんなトラウマに打ち克つべく、

己の中の恐怖という怪物に打ち克つべく、

まるで小石を積み上げて行くかのごとく海周は努力を怠らなかったに違いない。

VOLCOM PIPE PROでみせられたパイプでのチューブから、

一気にその日の海周の姿へ記憶の糸が繋がったときに、

本当に胸が熱くなり、心が震えた。

日本特有の根性論などそうそう通用しないと言われる

現代の若い世代には珍しく、見えないところで地道な努力を積み重ね続け、

ときに泥まみれになりながらも自分が信じる道をぶれることなく突き進む。

それは表向きの華やかさと表裏一体。

どんなに踏みつぶされようが、けなされようが、

何度も何度も立ち上がり、さらに力強く成長を遂げる。

そんな田中海周というサーファーの根性と不屈の闘志に

改めてわからされてしまったcolorsmagにとっては

決して忘れられないパイプラインでの一本となったことは言うまでもない。

そんな田中海周の今後のさらなる成長と活躍に期待したい!!

Keep Going Kaishu!!!!!

 

 

 

 

yoge
サーフィン・プレビュー/吉田憲右著・泉書房、古都鎌倉ミステリー旅/吉田憲右著・コスミック出版など数々の書籍を発行し、2000年にTRANSWORLD SURFの外部スタッフとなったのをきっかけにメディア界に参入。 2001年から2009年10月まで月刊SURFING WORLDの編集部兼カメラマンとして勤務。 その経験と共に、第1回NSA東日本サーフィン選手権大会Jrクラス3位、2年連続THE SURFSKATERS総合チャンプなどテストライダーとして培ってきた経歴を活かし、サーフィンを軸としたスケートボード、スノーボード、ミュージック、アート全般をひとつのコーストカルチャーとしてとらえ、心の赴くままにシャッターを押し、発信し続ける。 >>>出版物 >>>プライベート撮影問い合わせ