
Movie by Jim Neville. Text by colorsmagyoge.
アメリカ東部夏時間の2025年8月12日午後1時20分。
およそ40年1ヶ月と1日間、14,642日連続で毎日欠かさずサーフィンした世界記録を持つDale Webster氏が、惜しまれつつも76歳でこの世を去った。
「高校を4年間一度も休まなかった女の子を知っていたんだ。変な人だと思っていた。Dale Websterは14641日間、サーフィンを1日も休まず続けてる。すごいと思うよ」
11×ワールドチャンプの世界記録を持つKelly Slaterが、自身のインスタグラムの投稿でDale Websterについてそう語ったこともあった。
Dale Websterは、2015年10月に軽い手術のために休養を余儀なくされるまで、40年と1ヶ月と1日の間、毎日サーフィンをし続けた。
雨の日も、風の日も、嵐の日も。
その後も記録は途絶えてしまったものの、10年間、真のサーファーとして生きてきたDale Websterほど、これほどまでに人生を賭けて波乗りという目標に打ち込んだ男は他にいないだろう。

1948年、北カリフォルニアで生まれたDale Websterは、1961年にスタンドアップ・サーフィンを始めた。
その後、ハンティントンビーチで開催された全米サーフィン選手権で伝説のサーファーで水泳の3×金メダリストでもあるDuke Kahanamokuと出会って握手をし、
「まるで太陽の光が降り注いでいるようだった」
と、のちに残している。
1973年にソノマ郡に移り住んだDale Websterは、1975年にニュージーランドからのモンスター級の波がカリフォルニアの海岸を襲った時に、自らの人生に与えられた天命とも呼ぶべき宇宙からの呼びかけに気がつくこととなった。
「1975年9月はしっかりした南のうねりが来て毎日サーフィンをしていました」
2015年にDale WebsterはSURFER誌に語っている。
「波は日に日に良くなっていきました。85日間連続でサーフィンをした後、友人から『100日連続サーフィンに挑戦してみたらどう?』と言われました。100日連続を達成した時、地元新聞に記事が掲載されました。その宣伝のおかげで、1年間続けられると少し励まされました。それで、挑戦は1年間になりました。そして、その繰り返しでした。」
1975年9月のその運命的なサーフセッションを皮切りに、Dale Websterはサーフィンの英雄Doc PaskowitzとPhil Edwardsに触発され、毎回のセッションでビーチまで3本しっかり最後まで波乗るという条件を己に科し、そのまま毎日14,642日間連続でサーフィンをし続け、その過程で43,923回の波に乗った。
「Doc Paskowitzと彼の健康に関する教えは私に大きな影響を与えました。彼はかつて、世界最高のサーファーになるには、Phil Edwardsより1本多く波に乗ればいい、と書いていました。そしてPhil Edwardsは、ビーチまで波に乗りきってフィンを砂に引きずらなければ本当に波に乗ったこととは言えないと、考えていました。だから私もそうやってサーフィンをしました。ビーチまで波に乗ったのです。」

しかし、ノース・カリフォルニアの地元民の中でも最もハードコアなDale Websterにとって、人生は容易なものではなかった。
年間を通して海水温は華氏5度台前半で推移し、冬には華氏4度台後半まで下がることも珍しくない。
荒涼とした海岸には猛烈な嵐が吹き荒れ、深海には巨大なホホジロザメが徘徊することもある。
そして、個人的な犠牲も払う必要があった。
40年間、海辺で過ごさなければならなかったDale Websterは、腎臓結石と甲状腺の病気に苦しむこととなった。
最愛の妻が癌で亡くなった日も、なんとかサーフィンをするモチベーションを掻き立てた。
しかし、こうして独自の方法でサーフスターとなったDale Websterは、2003年には映画監督Dana Brownのドキュメンタリー映画”Step Into Liquid”でも特集されることとなった。


「サーフィンは本当に挑戦的なんだ」
とDale Websterは語る。
「雑誌に載っているような完璧な波を追い求めることもある。でも、ビーチに着いて想像と違う波と遭遇しても、目の前の波でサーフィンをしないといけない。でもウエットスーツを着て、ただ海に入るという行為だけでも素晴らしい気分になれるんだ。」
継続は力なり。
人生を賭けてサーフィンと向き合った世界的レジェンド・サーファーDale Webster氏。
そんな彼のご冥福を心よりお祈り申し上げます。



