Movie by WSL. Text by colorsmagyoge.

Eddie Aikauの実弟であり、世界で最も長い歴史を持つ世界一のビッグウェイブコンテスト”THE EDDIE AIKAU invitational”を主催し続けて兄の追悼を通してハワイ文化の向上に人生を捧げたビッグウェイブを象徴するハワイの世界的レジェンド、Clyde Aikau氏が、ハワイ時間の5/5(月)、日本時間の5/6(火)に逝去した。
土曜日の夜に心臓発作が発症し、その後は心臓疾患と闘っていたが、家族に見守られながらワイマナロの自宅で息を引きとった。

1949年生まれの伝説のビッグウェイバーであり、ノースショアのコミュニティの象徴でもあったClyde Aikau氏は、故Eddie Aikauと共に、才能あふれるサーファー、力強いスイマー、そして優れた航海術師として、瞬く間に現代ハワイのウォーターマンの典型となった人物。

その兄のEddie Aikauは、1970年代初頭、ワイメア湾で最初のライフガードを務めポリネシア人の移住ルートを辿ろうと伝統的な二重船殻のポリネシアンカヌー”ホクレア号”に乗って岸へ泳いでいた際に行方不明になったという逸話で有名である。

Clyde Aikau氏は、Eddie Aikauの死後も家族の伝統を引き継ぎ、ワイメアに挑み続け、1986年には兄に敬意を表して”THE Eddie Aikau invitational”で優勝。

さらに彼は、66歳になる2016年まで狂気と化したワイメアでのみ開催される”THE Eddie Aikau invitational”に出場し続けたというから驚きである。

息子のHaa Aikauは自身のインスタグラムを通して下記のようにコメント。

「お父さん、寂しくなるよ💔 お父さんが言ってたように新しい冒険を楽しんでるってわかってるし、僕も応援するよ!お父さんって呼べて幸せだった!!! じゃあまたいつか会おうね!! お父さん大好き!!!」

これからはHaa Aikauが父のClyde Aikau氏の意思を継承していくに違いないだろう。

Clayde Aikau氏は”THE Eddie Aikau invitational”を通して長年にわたり指導してきた何世代にもわたるサーファーたちを日々見守り続け、ノースショア・コミュニティに常に寄り添うだけでなく、脇田貴之プロをはじめとした日本人プロサーファーたちも過去に数名招待選手として大会に招くなど、世界中のサーファーたちにビッグチャンスを与え、アロハスピリッツを分かち合った唯一無二の偉大な世界的レジェンド・サーファーだった。

多くのサーファーにリスペクトされ続けたClyde Aikau氏のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

yoge
サーフィン・プレビュー/吉田憲右著・泉書房、古都鎌倉ミステリー旅/吉田憲右著・コスミック出版など数々の書籍を発行し、2000年にTRANSWORLD SURFの外部スタッフとなったのをきっかけにメディア界に参入。 2001年から2009年10月まで月刊SURFING WORLDの編集部兼カメラマンとして勤務。 その経験と共に、第1回NSA東日本サーフィン選手権大会Jrクラス3位、2年連続THE SURFSKATERS総合チャンプなどテストライダーとして培ってきた経歴を活かし、サーフィンを軸としたスケートボード、スノーボード、ミュージック、アート全般をひとつのコーストカルチャーとしてとらえ、心の赴くままにシャッターを押し、発信し続ける。 >>>出版物 >>>プライベート撮影問い合わせ