僕はカリッサが7,8歳の時にバレルや、360°を決めたのをビデオで見た時に、将来偉大な存在になると思っていたよ。だからそんなに驚いていないよ、僕はとてもハッピーだしカリッサを誇りに思う。初の金メダル、おめでとう!

繰り返すけど、驚くことじゃない。イタロは優勝候補だと思っていたよ、ISA ワールドサーフィンゲーム宮崎の大会で、リパチャージからファイナルまで勝ち上がって(飛行機から最初のヒートは走ってきたし)優勝したからね。この男は何か特別な運を持ってたよ、おめでとう、ブラザー。初の金メダル!!

カノアは僕にとってダークホースだったね。僕はカノアが寿司やステーキを日本でご馳走するって疑ってたよ。二つの国を背負うのを苦にせずサーフィンをやり遂げた、素晴らしい事だ!シルバーメダルおめでとう!

ビアンカ、僕はとてもハッピーだよ。ここ数年ツアー中もオフも個人的な困難にあいながら、今回は素晴らしい事だよ。おめだとう、ビアンカ、南アフリカ!

Amuro Tsuzuki、今年のサーフストーリーでは君のことは意識していなかった、日本人女性として最初のCT選手になり、ホームのオリンピック開催で君のポテンシャルでかけ上がってきた。ご褒美を楽しんで、銅メダルおめでとう!

オーウェンに君は何が言えるかな? 数年前には歩くこともできなかった、スナッパーの大会で優勝して戻ってきて、ものすごいサーフィンをするガブリエル・メディーナを破って、母国オーストラリアのために銅メダル… 僕はそう感じたよ! 素晴らしいよ仕事だよ My Man、銅メダルおめでとう!

Instagram : @kellyslater  7月29日 付

以上がケリー・スレーターのInstagram 、ストーリー内で上げられたメッセージ。
TOKYO 2020に来ると噂され、大会開催中は何のコメントも上げていなかったが、しっかり観戦し、同僚のCT選手の活躍、オリンピックでサーフィンで最初に名を残す選手達6名に、心からお祝いと活躍を称えていた。

1990年代 ASPサーフィンの世界ツアーで、日本を訪れていたケリー・スレーター、1996年のアトランタ、2000年のオーストラリアオリンピックに向け、サーフィンが公式種目になる可能性について、日本のテレビでインタビューされていた。ケリーはサーフィンがスポーツとしてのステイタスを上げるために、僕らはプロとしてツアーをしている、オリンピックの公式種目になるのは大変素晴らしいし、そうなってほしいとインタビューで語っていたのをはっきり覚えている。

TOKYO 2020 オリンピックサーフィンのコンテスト、台風が直撃コースで接近し、最終日には波がほぼクローズに近い状況で開催された。WCTで千葉の志田下や部原でサーフィンしたケリー・スレーター、特別な思いでメダリストの誕生を見ていたのではないだろうか。

 

 

 

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カラーズマガジン編集部