Movie & Photos by Lana. Text by colorsmagyoge.

 

バリから飛行機でわずか1時間のところにあるスンバワといえば、世界有数のサーフブレイク、レイキーピークがある場所として世界中のサーファーたちに愛される島。

そんなスンバワに日本人サーファーの両親と共に暮らす13歳の日本人中学生の少女、ラナちゃんは、1歳の時にインドネシアのバリに移住。

2歳からバリのインターナショナルスクールに通って育ったが、ロックダウンによって登校できなくなってしまったことをきっかけに、家族と共にスンバワに移住してオンライン授業を受けることとなった。

 

はじめはすぐに終息すると思っていたコロナだったが、それが落ち着く気配は一向になく、気がつけば数ヶ月間スンバワで暮らす中で、いつも笑顔で接してくれる地元の子供達とも徐々に絆が深まって行き、しかし、その反面で彼らの生活の苦しさや、子供たちの教育問題なども目の当たりにすることに。

 

ラナちゃんがスンバワで暮らし始めて4ヶ月目。

新学期が始まるはずのこの時期になっても学校が始まらないことがわかり、それと同時に学校が通常の授業からオンライン授業になることに対して授業料が割引になることとなった。

そこでラナちゃんは、その返金された学費と学校に行くはずだった時間を使って、スンバワの子供たちに何かできないかと考え始めた。

子供たちが遊ぶ公園もないスンバワで、アスファルトもないボコボコの道で、いつもたった一つのボロボロのスケートボードをみんなで交代で乗りながら遊ぶ子供たち。

ラナちゃんは、そんな友達のために、スケートパークを作りたいと思い立った。

 

そこでスタートすることとなったレイキーピーク・スケートパーク計画。

ラナちゃんは同志である地元の子供たちと共に、早速作業に取り掛かった。

 

しかし、どうしてもそこにあっては邪魔な大きな木を倒すことができない。

「こんな大きな木を本当に倒すことができるのだろうか…」

ラナちゃんをはじめ、地元の子供たちに早くも不安がよぎった。

それでもここでやめるわけにはいかない。

ラナちゃんと子供たちは、その大きな木を倒すために土を掘り続けた。

 

作業をはじめて数日後、ラナちゃんと子供たちは、ようやくその大きな木を倒すができた。

「やればできるんだ!」

これが大きな自信が生まれる第一歩となった。

それからも作業は延々と続き、大きな子供が指揮をとり、小さな子供たちは土が入った重たいバケツを引きずって運び、運ばれてきた大量の土を平らにならし、重たい石をみんなで力を合わせて運び、深い穴を掘り続けた。

両手にはマメができ、例えそれが潰れて血が出ようとも、ラナちゃんと子供たちは毎日毎日作業を止めることなく、出来る限りのことを自分たちの手で進めていった。

それは、少ない予算しかない中で、最後に流し込むアスファルトにお金が掛かるから。

 

作業を進めて3ヶ月目になると、そんな子供たちの頑張る姿を見て、たくさんの大人たちが応援してくれたり、助言してくれるようになった。

それに伴い、周囲の期待も大きくなっていき、自治体もレイキーピークにスケートパークを作る許可をしてくれるほど協力的になり、すべてが目標に向かってひとつになっていった。

 

しかし、現実は厳しかった。

ラナちゃんが作り出した残りの資金では完成に至るまでには足らず、すでに大幅に予算オーバーしてしまっていた。

このままでは、レイキーピークにスケートパークを完成させることができない。

ここまで来て、まさに八方塞がり。

どうしたらいいのか。

考えた末、ラナちゃんは、クラウドファウンディングで資金を集めるという最終手段に踏み出した。

お金の支援を受けることには抵抗があり、一歩踏み出せずにいた。

しかし、一緒に頑張ってきた地元の子供たちががっかりする顔を絶対に見たくはなかった。

 

そんな経緯があって立ち上げたラナちゃんを中心としたクラウドファウンディングは、すでに目標金額を達成!

現在、残り数日を残すところとなっているが、彼女たちがより良いスケートパークを作るために、下記リンクより、このプロジェクトをさらに支援することは可能となっている。

たったひとりの日本人の中学生の少女が、遠く離れたインドネシアの島でできた友達との友情を形にするべく、すべてを注ぎ込んで生み出した感動のストーリー。

それは遙か海を超え、彼女の生まれたここ日本のみならず、世界中に届き、さらに多くの人たちの心を突き動かした。

 

コロナが無事終息し、再び日本人サーファーがレイキーピークに訪れることができるようになる頃には、その目の前に彼女と地元の子供たちの夢が形となったスケートパークがあり、そこで楽しそうにスケートボードをするラナちゃんと地元の子供たちの姿があるに違いない。

 

 

 

yoge
サーフィン・プレビュー/吉田憲右著・泉書房、古都鎌倉ミステリー旅/吉田憲右著・コスミック出版など数々の書籍を発行し、2000年にTRANSWORLD SURFの外部スタッフとなったのをきっかけにメディア界に参入。 2001年から2009年10月まで月刊SURFING WORLDの編集部兼カメラマンとして勤務。 その経験と共に、第1回NSA東日本サーフィン選手権大会Jrクラス3位、2年連続THE SURFSKATERS総合チャンプなどテストライダーとして培ってきた経歴を活かし、サーフィンを軸としたスケートボード、スノーボード、ミュージック、アート全般をひとつのコーストカルチャーとしてとらえ、心の赴くままにシャッターを押し、発信し続ける。 >>>出版物 >>>プライベート撮影問い合わせ