Movie by Kanoa Igarashi. Text by colorsmagyoge.


 

 

日本が誇るスーパーサーフスター五十嵐カノアより超待望の最新クリップがドロップ!

今回の作品ではインスタグラムに寄せられたファンからの質問にカノアが答えるというもの。

下記は、とても簡単なものですが日本語の翻訳となっております。

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Q.生まれて初めての自分のサーフボードは?

A.タウン&カントリーの6’6”の黄色いミッドレングス・サーフボードでした。ちょうど3歳の誕生日でまだ800ドルがどれだけ高いかもわからなかった。

Q.エアリバースをどうやって覚えましたか?

A.初めてエアリバースをメイクしたのは9歳の時でした。ロウワー・トラッセルズでKolohe Andino、Tanner Gudauskas、Luke DavisもいてQSを目標にトレーニングしていた時で、僕がすごく小さいけどエアリバースをメイクしたらみんなが「おお~ッ!イーゴ、エアリーヴォー」って叫ぶものだから、

「え?何イーゴ、エアリーヴォーって」

聞き直したら、

「イーゴはお前のニックネームだよ。イーゴ、カノア五十嵐、イーガラシ、イーガだからイーゴなんだよ」

「ああ、そうか。じゃあエアリーヴォーは何?」

「エアリバースのことだよ」

それが僕にとって最初のニックネームとエアリバースの思い出になってます。

どうやるかについてはタイミングが大事ですね。

Q.一番好きな波は?

A.今まで最も記憶に残っているのは、フィジーのクラウドブレイクでのセッションです。いつも晴れていてオフショアでパーフェクトなレフトのチューブで、本当にスペシャルでした。

Q.何歳でサーフィンをはじめましたか?

A.3歳の時にアラモアナで。それから本気でのめり込み始めたのは6歳か7歳でした。ちょうど両親がLAからハンティントンビーチに引っ越すことになったのもこの頃で、それまで週末にしかサーフィンに行けなかったのが毎日できる環境になった。

Q.カノアのサーフィンライフに最も影響を与えたサーファーは?

A.Kelly Slaterですね。その他にも他のスポーツ選手からもたくさんの影響を受けました。

Q.何ヶ国語話せますか?そしてどうやって学びましたか?

A.日本語、英語、ポルトガル語、スペイン語の4ヶ国語です。今となってはロシア語とフランス語も学びたいと思ってます。

Q.暇つぶしで一番好きなことはなんですか?

A.とてもいい質問ですね。料理も好きだし、友達といるのも好きだけど今はソーシャルディスタンスを保つことが大事だからね。それはさておき、やっぱりサーフィンですね。海に入るだけで普段のストレスやプレッシャーから解放してくれる。

Q.新しいウエットスーツを手に入れた時ってやっぱり着たり脱いだりに苦戦するものなんですか?

A.新しいウエットスーツが来たばかりの時は、まだ自分の体に馴染んでいないことが多いので、確かに着にくかったり脱ぎにくかったりします。これは父が教えてくれた知識なんですが、ウエットスーツを着る時にビニール袋を足に履いてからウエットスーツを着ると滑りが良くなって、どんなにキツくても足を通しやすくなります。足を通し終わったらビニール袋を引き抜くだけ。脱ぐ時は、これも父の教えなのですが、ウエットスーツの中に水をたくさん入れて膨らませた状態にすると比較的楽に脱ぐことができます。

Q.自分のビデオを自分で編集しますか?私は完成するまで15時間かかりました。

A.15時間は長いね。僕の場合はいつもカメラマンのTanner Carneyさんがやってくれます。僕のインスタグラムにポストしている映像はその日のものをその日のうちに投稿しているのですが、彼がその日に撮ったものを15時間ではなくて15分くらいで仕上げてくれます。

Q.モーニングルーティンは?

A.朝起きてからなるべく電話を見ないように心がけつつ、5分くらいインスタを見たりしてから1階に降りていつも同じスムージーを作ります。グラノーラにピーナッツバターで朝食をとってサーフィンしに行きます。

Q.何歳ですか?

A.23歳です。誕生日は1997年10月1日生まれです。

Q.今までのサーフィンライフの中で最高の思い出と最悪な思い出を教えてください。

A.まず最悪な思い出から話すと、14歳の時に足を骨折した時です。オーストラリアでやってしまって、やってしまった時は「本当になんで僕なんだ、世界にはたくさんの人がいるのになんで僕がこんな目にあうんだ」って思った。ちょうどジュニアシリーズの試合があった時で試合もいい感じで両親も一緒で友達とも楽しかったのにサーフィン中にいきなり降りかかってきた。そのあと2週間オーストラリアに滞在して通院することになって本当に最悪だった。

最高の思い出は、2019年のバリのCTで初めて優勝した時。

面白いなと思ったのはバリのCTで優勝した時に、なぜかオーストラリアで骨折した14歳の時の最悪の思い出を思い出したこと。すべてがバリでのCT優勝につながるべくして起こったことだったような気がして人生って不思議だなと思いました。

Q.ピザとブリトーどっち派ですか?

A.ブリトーが世界一美味しいカリフォルニアのオレンジカウンティー出身なのでブリトーです。

 

 

 

 

 

yoge
サーフィン・プレビュー/吉田憲右著・泉書房、古都鎌倉ミステリー旅/吉田憲右著・コスミック出版など数々の書籍を発行し、2000年にTRANSWORLD SURFの外部スタッフとなったのをきっかけにメディア界に参入。 2001年から2009年10月まで月刊SURFING WORLDの編集部兼カメラマンとして勤務。 その経験と共に、第1回NSA東日本サーフィン選手権大会Jrクラス3位、2年連続THE SURFSKATERS総合チャンプなどテストライダーとして培ってきた経歴を活かし、サーフィンを軸としたスケートボード、スノーボード、ミュージック、アート全般をひとつのコーストカルチャーとしてとらえ、心の赴くままにシャッターを押し、発信し続ける。 >>>出版物 >>>プライベート撮影問い合わせ