Photos & Text by colorsmagyoge.

Kota Iida in Shonan & Citywide Tokyo 2018. Movie by HrsTV.

飯田航太。

15歳でオーストラリアへ留学して以来、日本のサーフシーンからは少し姿を消していた彼が、今年のJPSA開幕戦の舞台となったバリに突如姿を現し、プロ資格こそ獲得できなかったものの、トライアルラウンドからメインラウンド3まで勝ち上がっていく姿を久しぶりに見たとき、どこかオーストラリアのMikey Wrightを想起させる”かっこいいフリーサーファー”としての強烈な存在感を感じた。

高さのあるエア、チューブ、波のトップからボトムまでを一刀両断するかのようなビッグ・ダウンカーブ。

まさに映像映えする観ていて楽しいフォトジェニックなそのサーフスタイルは、2020年東京オリンピックに向けてひたすら突き進んでいく現代の日本のサーフシーンの型に決してハマらず、どこか解き放たれた光り輝く何かを垣間見た。

映像クリエイターでもあり、そして何よりも純粋な”サーファー”であるそんな飯田航太が束の間の来日を果たしたこのタイミングで、colorsmag的スペシャルインタビューを決行!

そんな彼の素顔に迫る!!

 

サーフィンを始めたきっかけは?

サーフィンを始めたのは3歳くらいの時でした。お父さんとお母さんに海によく連れて行ってもらっていたんですけど、6歳の時に初めて野呂海利と一緒に試合に出て、そこで負けちゃって悔しくて、もっと上手くなりたい、もっとサーフィン練習したいと思ってからはズッポリはまちゃいました。

でもその時はまだ神戸に住んでいたので、週末以外はサーフィンできませんでした。

それで、小学校5年の時にお母さんと一緒に四国の宍喰に引っ越して、お父さんは神戸で仕事という生活をし始めてからは毎日サーフィンできる環境になりました。

それからは徐々に自分のサーフィンも調子よくなってきて、そしたらもっと意欲が湧いてきて海外を意識するようになって、そんな時にクイックシルバーの大会を観にオーストラリアへ行ったら、ゴールドコーストの環境に衝撃を受けてしまって、その時に留学したいと思ったんですよね。

ちょうど石川拳大くんとか、自分の友達もオーストラリアに留学している人たちが多かったので、いろいろと情報を集めて、両親に「オーストラリアに留学したい」ということを打ち明けたら、「航太がやりたいなら行っておいで」言ってくれて、それが15歳の時でした。

 

オーストラリアへ留学する前は、日本のコンテストでの結果はどうでしたか?

小学校6年生のときに、宮崎でキング・オブ・ザ・グロムという試合があってそのグロムクラスでそれで一回優勝した以外は、国内でもWQSとかNSAの全日本とか積極的に出ていたんですけど、級別とかも全部セミファイナル負けとかで全然結果が出なくて、表彰台には登れませんでした。

オーストラリアの高校生活はどうだった?

最初は英語も喋れないし、友達もできないし、めっちゃホームシックになって帰りたいと思う時期もあったんですけど、両親に行かせてもらった以上、この環境を最大限に活かさなきゃいけないという強い思いがありました。だから最初の半年は日本人の人たちとずっと一緒にいたんですけど、それでは何も進歩しないことに気がついたので、辛かったけど日本人のコミュニティーと徐々に距離を取る努力をしたんです。それからは毎日ひとりでサーフィンをやって、英語の勉強も毎晩毎晩やって、それを続けているうちに海でオーストラリア人の友達ができるようになりました。そしたらいつの間にかボードライダースという日本でいう支部みたいなものに入れてもらえるようになって、それからはいっぱいローカルの友達ができるようになって、気がついたらオーストラリアの生活に溶け込んでいました。

今の専門学校では映像制作を学んでいるけど、その道に進もうと思ったきっかけは?

オーストラリアに留学した時に、オーストラリアってサーフィンの映像を撮っているカメラマンが多くて、自然とそういう人たちとも仲良くなっていくうちに、「なんかかっこいいな」って思ったんですよね。その人たちももちろんサーフィンがめちゃくちゃ上手くて、でも映像で飯食ってるみたいなのがビビッと来ちゃったんです。ちょうど自分でもGoProを使って映像撮ったりしていたので、そこで撮れたものを自分で編集してという作業を繰り返しているうちに、だんだんハマってきちゃって、それをもう一段階次のステップに持っていきたいなと思って、それがきっかけで今の専門学校に通う決心をしました。実際に通い始めてみて、やっぱり今の学校は面白いですね。ただ撮るだけじゃなくて、光だとか音声だとか色々な要素を自分たちで考えてセッティングして。とにかく楽しんでやってます。

colors-magazineでも以前紹介させてもらったけど、航太が作った”SURFER FILE”(現在オーストラリアに留学中の田中透生や斎藤祐太朗をフィーチャーしたショートクリップ)は次なる被写体となるのはいったい誰なのか? Movie by Kota Iida.

 

今年初めてバリでのJPSA開幕戦に参戦してきましたが、それはどういう流れでしたか?

実は2017年の最初の頃は、少しサーフィンから離れてしまっていて、毎日のようにサーフィンする生活じゃなくなっていました。何かこう、自分の中でサーフィンの面白みが見出せなくなってしまったというか。でも、そんな時に日本で活躍している友達の姿をインスタグラムとかで見てたら、サーフィンに対する熱い気持ちが戻ってきたんです。

それからは2018年のバリでのJPSA開幕戦を一つの目標に掲げて、コーチングなんかも受けながら、また毎日どっぷりサーフィン三昧の生活を送るようになりました。

初めて参戦したJPSAはどうでしたか

やっぱり久しぶりの試合であの大規模なものだったので、自分の中ではかなり緊張しまくりで、結果としては自分のサーフィンが全くできなかったんですけど、やっぱり楽しいなと思えて。

結果としてはラウンド3で負けちゃったんですけど、勝った時の喜びとかはめっちゃくちゃ快感で、すごく楽しくて、改めてできる限りもっと日本のプロの試合に出たいなとは思いました。

でもその反面、今回のバリでのJPSAでトータルスコア12.00ptが出せず、プロになれなかったことが本当に悔しかった。

だから来年のバリのJPSAも絶対に行こうと思っているし、そこで12.00pt出して勝ち進んでいってプロになりたいと思ってます。それが今の自分にとって、サーファーとしてのひとつの大きな目標ですね。いまオーストラリアでは映像制作を学ぶために専門学校へ通っているので、それが終わるまであと2、3年あるので、それまではオーストラリアが拠点になります。だからしばらくはオーストラリアからバリや日本に行ってJPSAに参戦するという形になると思います。

Kota Iida JPSA Murasaki Pro 2018. Movie by HrsTV.

 

今年は何度かインドネシアのシメルー島に行ってるけど、シメルー島はどんなところ?

シメルーにはもう今年だけで2回行っていて、一言でいうと、こんなに素晴らしいところがあるのか、と衝撃を受けました。オーストラリアにいるので、去年までは他の国にトリップすることはなかったんですけど、いざシメルーに行ってみたら波もめちゃくちゃ良いし、人も少ないし、景色も良いし、住んでいる人たちも良いし、時間が一瞬で過ぎ去って、でもその間だけでサーフィンが上手くなった気がして。特に2回目に行った時はシーズンだったこともあって毎日オフショアのチューブで最高でした。

Simeulue Trip 2018. Movie by Kota Iida.

 

オーストラリアではいつも誰と一緒にサーフィンすることが多いですか

同じHammo surfbaordsチームのクイン・ブルースとか、QSサーファーたちとよく一緒にやることが多いです。

あとはシェイパーのHammoも結構一緒に海行こうよと誘ってくれるので、波が上がったらまた違った場所にサーフィンしに行ったりもします。

Hammoとの出会いはどんな感じでしたか?

オーストラリアへ行って1年目に、一緒に住んでいたブラジリアンのルームメイトのサーフボードが壊れちゃって、リペアに持って行ったのが偶然にもHammoのお店でした。

その時にHammoが「お前のこと海で見たことあるよ」みたいな感じで話しかけてきてくれて、「レスポンスを聞きたいから乗ってみて」と言われて、乗ったら調子が良かったんです。

そしたらHammoの方からスポンサーしたいみたいなことをアプローチしてきてくれて、自分としてもせっかくオーストラリアにいるんだしオーストラリアのボードに乗ってみたいという思いもあったので、悩んだ末に当時のスポンサーに相談してみたら「いいよ」って言ってくれて。

それからですね。まだ15歳の時のことでした。

だからもうHammoとは、5年くらいの付き合いになります。

Hammoのボードはどうですか?

最初の頃はしっくりこないボードもあってすぐに返しちゃうこともあったんですけど、その都度コミュニケーションをとっているうち、Hammoも年々腕を上げてきて今となってはもう、来る板来る板全部調子良くて、ハズレはないって感じですね。

とにかくHammoのショップに行ったらずっと2人でサーフボードの話しばかりしています。それが良いんだと思います。

 

最終的にはオーストラリアと日本のどちらを拠点にしていく予定ですか?

それはまだ自分の中でもはっきりしていないのが正直なところですね。今の専門学校を来年の2019年に卒業後、オーストラリアの大学に進学するので、その間にじっくり考えて決めたいと思ってます。サーフィンはもちろん今まで以上に頑張ってやっていきたいと思っているので、できればオーストラリアを拠点にしていきたいなとは漠然と思ってます。

どんなサーファーを目指していますか?

う~ん。それはけっこう難しい質問ですね。どんな風になりたいんだろう。(しばらく考える)

新しい技を試すのも好きなのでそういうこともやっていきたいし、コンテストに出ることも好きだし、でも何よりも良い映像を残していけるサーファーになっていけたらいいなと思ってます。

 

“かっこいいフリーサーファー”。

冒頭のリードにも書かせてもらったが、やはり飯田航太の潜在意識の深いところには、漠然ながらもそんなイメージがあるのかもしれない。

Style is everythingとは、今は亡き横乗り界のスーパーレジェンド、Dog Town Z-BoyzのJay Adamsが残した名言であるが、きっと飯田航太はそんな言葉がしっくりと来るオリジナリティー溢れるフリーサーファーに成長していくに違いないだろう。

そんな彼の今後のさらなる成長と飛躍に期待したい!!

Go Kota!!!

 

 

 

 

 

yoge
サーフィン・プレビュー/吉田憲右著・泉書房、古都鎌倉ミステリー旅/吉田憲右著・コスミック出版など数々の書籍を発行し、2000年にTRANSWORLD SURFの外部スタッフとなったのをきっかけにメディア界に参入。 2001年から2009年10月まで月刊SURFING WORLDの編集部兼カメラマンとして勤務。 その経験と共に、第1回NSA東日本サーフィン選手権大会Jrクラス3位、2年連続THE SURFSKATERS総合チャンプなどテストライダーとして培ってきた経歴を活かし、サーフィンを軸としたスケートボード、スノーボード、ミュージック、アート全般をひとつのコーストカルチャーとしてとらえ、心の赴くままにシャッターを押し、発信し続ける。 >>>出版物 >>>プライベート撮影問い合わせ