2016年年末に、とあるプロサーファーによる生死に関わる重大な事故がこのポイントで起きてからちょうど1年。

ここではその多くを語り尽くすことはできないがその間、私自身も足を運びローカルの様々な思いや問題を聞き話し合いを経て今年の冬にまたこのポイントで再開セッションが出来ることとなった。

事故以来、ここのポイントの恐ろしさを改めてわからされたと同時に、たとえプロサーファーであっても決して油断してはいけない生命に関わる非常に危険なポイント。

この事故でまた我々もサーフィンに対する考え方や日本でのハードコアポイントでのレスキューのあり方、ルール、そこに住むローカルとサーフィンのあり方についても改めてまた気がつかされた。

その衝撃的な事故が起きてからここでのサーフィンの是非が問われ、ローカルとここのポイントに携わる皆様と時間をかけて多くの問題を話し合い改めてここにおけるサーフィンのルールを厳しく見直し二度とこのような事故を起こしてはならないという状況だということもしっかり踏まえておかなければいけない。なので無断でのサーフィン、並びに一般のサーファーは絶対に入水は避けてもらいたい。

ここに通うプロサーファーにとってもこの事故は衝撃的で複雑な心境を抱きながらも、この波に対するアツい情熱と、どうしてもここの波にまたチャージしたいという思いが伝わり限られたメンバーではあるがここでのセッションが許可され事故の教訓を踏まえた上での体制で実現できることとなった。

今ではここに通っているプロサーファーの中では一番数多く遠い湘南から通い、今回は新幹線で駆けつけたというここの波をこよなく愛し毎年チャージする松岡 慧斗プロ、そして四国からは河口の申し子バレルライダース 林 健太プロ、 そして日本海を代表する間屋口 峻英プロ、そしてウォーターショットは神尾 光輝氏がとのセッションとなった。

この日のコンディションは朝一で6ft前後のセットが炸裂していた。そして干満差の少ない日本海だかこの時期はまだ潮も多く今回はレフトが残念ながら出現せず恐ろしく掘れ上がるライトオンリーのコンディションとなった。そして太陽が昇り始める頃にはしっかりとしたラインナップが出現。セットが入ればダブルアップに掘れ上がるブレイクがヒットしていた。

なかなか出口が開かずテイクオフからバレルセクションまではメイクできても掘れ上がり崩れ落ちる出口で抜けることが難しかった今回のライトブレイク。しかしながらそんな状況でもわずかな抜け出せるチャンスを狙い難しい波にチャージしていくライダー達の姿はまさにハードコアサーファー。今回はその模様をお伝えします。

ここの波をいつも湘南からチェックし波が出ればロングドライブでこの波を狙うフットワークの軽さは脱帽である。今回はなんとイベント後に新幹線で駆けつけたという。恐ろしく掘れ上がるライトのセットに合わせるスラブジャンキー松岡プロ。松岡プロにとってここのスラブな波は得意分野に一つと言っていっても過言ではないだろう。

Keito Matsuoka

四国から車を走らせ日本海セッションに参加した林プロ。ビハインドから掘れ上がるライトのセクションに上手くあ合わせ今回、数少ない出口のあるバレルをくぐり抜ける。ここ日本海でもバレルジャンキーぶりは健在!ここでも流石のライディングを何本も見せてくれた。

Kenta Hayashi

 

ここでのセッションは何度も経験していますが未だにこのポイントは緊張感ありますと語る日本海を代表する間屋口プロ。しかしながらここでセッションがあればいつもラインナップに姿を表すスタイルとハードコアを両方兼ね備えたサーファーだ。難しかった今回の波もセットを上手くセレクトしバレルにチャージしていく。間屋口プロのここでの経験の多さがライディングに生かされている。

Takahide Mayaguchi

 

時折、何発も押し寄せるセット。まともに喰らうとひとたまりもない。あっという間にボトムに叩きつけられ岩礁に打ち上げらてしまう。特にここでのライト方向のセッションではプロサーファーでさえ何度も打ち上げらてしまう。コンディション次第では日本でも非常に危険な波の一つであり誰もが乗りこなせる波ではない。幾度なく通うプロサーファーでさえここの波は難しいと語る。サーフィンのテクニック以外にもサバイブの経験が必要とされる。

Keito Matsuoka

 

朝一からしっかりとしたバックスウェルが届きお昼前まで特に大きな風の影響も受けずにセッションは続いた。

狙えるセットに何度もチャージしバレルを狙う。

そのセッションは日暮れギリギリの夕方まで続き凄まじいセッションとなった。

 

Keito Matsuoka

 

Kenta Hayashi

 

Kenta Hayashi

 

Keito Matsuoka

Keito Matsuoka

 

Keito Matsuoka

 

Keito Matsuoka

 

Takahide Mayaguchi

 

Takahide Mayaguchi

 

Kenta Hayashi

 

Kenta Hayashi

Kenta Hayashi

 

Kenta Hayashi

Kenta Hayashi

 

 

Keito Matsuoka

Keito Matsuoka

 

Keito Matsuoka

 

Keito Matsuoka

 

Takahide Mayaguchi

Keito Matsuoka

Kenta Hayashi

Mitsuteru KamioMitsuteru Kamio&Takahide Mayaguchi

生死に関わる事故から1年。ここのポイントでの事故以来、初のセッションとなった今回も無事に終わることができた。ローカルのご理解があってこそ実現した。そのことに感謝するとともに今回参加したセッションメンバーも気を引き締めて緊張感を持って臨んだ今回のセッション。日本でも類を見ない素晴らしい波がブレイクするこのポイント。その波に熱き思いを寄せチャージするプロサーファー。ここのポイントをこれからも守るためにまた二度と事故が起きないようにしっかりとした体制で挑まなくてはならない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

孝之越智 ”マニア”
中学生時代に海外の音楽、ファッションカルチャーに興味を抱き、その影響で衝撃的なパンクロックと出会い、それからパンクバンドを結成し自身もドラムで活動する傍らカリフォルニアのサーフスケートのパンクシーンの影響を受けスケートボードに目覚める。 スケートパークに通っていくうちに自然とサーファー、スノーボーダーとの出会いが増え、自身もサーフィン、スノーボードにのめり込み日本各地、海外のフィールドを求め海や雪山とリアルなシーンを追い求めていった。 追い求める旅の中で美しい自然やロケーション、音楽、ファッション等の様々な新鮮カルチャーとの出会い、多くの横ノリスト達とライディングセッションを重ねるうちその時にしかない瞬間を残そうと気がつけばカメラを片手にそのリアルな瞬間を切り取るようになった。 現在は関西を拠点にcolorsmag関西支部を担当しながら、メディアや雑誌等でも活躍中。