
Special Thanks : Taisuke Sakuma & DJsega/Deeptuber.
Text by colorsmagyoge.

Yonosuke Sakuma. photo from yonosuke fan festa.
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生まれ持ったそのタレント性とセンスで
日本屈指のビッグウェイバーとして
将来を有望視されていた佐久間洋之介。
2006年1月2日。
地元葉山の海でトレーニング中に
起こった不慮の事故により他界。
享年25歳の若さにして、伝説のサーファーとなった。
日本サーフィン界を深い悲しみで覆った
洋之介の死から長い月日が流れ、
やがて多くの人たちの記憶から洋之介が薄れていった。
が、その魂を受け継いだひとりの男がいた。
洋之介の実弟・佐久間泰介である。
「このポイントが6feetを超えると、ワイメアの20feetより怖い」
これは故・洋之介が残した言葉であるが、
その反面、佐久間兄弟は、ここの波をライドすることを
いつでも夢見続けてきた。
その想いは、未だ“Yono Peak”に生き続ける。
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台風26号が関東地方に最も接近した
2013年10月16日。
佐久間泰介の波乗り仲間であるDJ SEGAは、
予定より少し遅れて目を覚ました。
窓を開けると、
前夜までの激しい暴風雨がウソであったかのような
清々しい朝日が降り注いでおり、風はオフショアに回っていた。
高ぶるテンションに素早く身支度を整え、
いざ海岸線を東へ走らせる。
普段見慣れたサーフポイントは、
どこもこれまでには見たことがないくらい波が大きく、
すでにクローズアウトだったが、
風はやはり、オフショアだった。
目的地はただひとつ。
起きてすぐに泰介に電話をしなかったDJ SEGAだったが
泰介がどこのポイントにいるかわかっていた。
目的地に着くと、ポイントが見渡せる場所に
波チェックをする泰介の姿を見つけた。
すでに、1時間以上前から海を見ていたらしく、
「波ヤバイね。 たまに凄いのが来るよ、それを狙おうかな」
と、いつもマイペースな泰介は、
こんな日でも何も変わらない様子だった。
しばらく波をチェックしていると、
セットで6-8ftは確実にありそうであり、
時折入る特大セットは
ハワイアンサイズでの10ftはありそうに見えた。
DJ SEGAは、思わずつばを飲み込んだ。
なぜなら、波が立つ度にこのポイントを見てきたが、
ここまで巨大な波が押し寄せているのは初めてだったからだ。

YonoPeak,16th Oct. Typhoon 26th Morning. Photo by SEGA.
「波が下がる前にやろうか」
泰介は、顔色ひとつ変えずにそう言った。
「ボードを取ってくる」
そう言い残して一度家に帰ると、
この日のこのポイントに合わせて
自分で選んだボードを片手にビーチに降りてきた。
そのボードは、泰介の実兄・洋之介が生前に愛用していた
DROP OUTの7’6、ピーター・マッケイブのガンだった。

誰もいない沖には、容赦なく巨大セットが押し寄せている。
普段は穏やかな海水浴場であるインサイドのビーチが
ホワイトウォーターで真っ白になっているなか、
泰介は、何の躊躇もなく、ゲッティングアウトしていった。
DJ SEGAは500mmのレンズを陸から構えながら、
遥か沖に小さくなって行く泰介の姿を見守るしかなかった。
泰介がラインナップに到着したのを確認したDJ SEGAは
ひたすらカメラのファインダーを覗き込んだ。
ピークも定まらず、まるで怪物のようなゴツイ波が、
次から次へと押し寄せてくる。
よく見れば見るほど、
想像以上に危険なコンディションであることを認識せざるを得ず、
カメラを握る手は汗ばんでいた。
そんななか、この日最大と思われるセットが到来。
「これだ! これが泰介が狙っていた波だ!!」
そう確信し、再びカメラを覗き込んだ。
泰介が、狙い通りの波を掴み、
そそり立つ壁の頂点からテイクオフ。














Taisuke Sakuma with Yonosuke’s 7’6″ @ Yono’s Peak. Photo by SEGA.
が、この波は最後のセクションでクローズアウト。
その後、想像を絶する修羅場が待ち受けているたことを
泰介は知る由もなかった。
クローズアウトした巨大なホワイトウォーターは
ポイントのすぐ手前にある磯まで僅か数メートルのところまで
泰介を引きずり込んだ。
やっとの思いで水面下から浮上すると
このままあと何本かの波を喰らったら、
そのうち磯に打ちつけられても
おかしくないポジションにいるうえ、
しかも、リーシュが岩に絡まってしまっていた。
目の前には、2本目のホワイトウォーターが
容赦なく迫りくる。
「終わった、、」
そのまま続けざまに数本の波が泰介を襲った。
泰介が初めて洋之介にこのポイントに連れてこられたのは、
泰介がまだ15歳のときのことだった。

ここの波は洋之介はもちろん、泰介にとっても
幼い頃からの憧れの波であり、
「いつかここの波を乗りこなしたい」
と想い続けてきた、佐久間兄弟にとって神聖な場所だった。
とある年のこと。
ハワイ帰りの洋之介が自信をつけて帰国してきた。
台風シーズンのこのポイントで、洋之介と泰介、
そして、現在は千葉でDA CAFEを営む沼田裕一プロと3人で
サーフィンをすることになった。
案の定、洋之介が数本の波を軽々乗りこなすなか、
少しインサイドで控えめに波待ちしていた泰介は、
遥か沖に入ったトリプルオーバーの特大セットを
インパクトで喰らい、ボードは真っ二つになり、
散々な目にあったのだった。
「このポイントが6feetを超えると、ワイメアの20feetより怖い」
洋之介は言った。
しかし、それだからこそ、
なおさら泰介は、
ここの波を乗りこなしたい、と強く思った。
泰介は、荒れ狂う大海原の片隅で、
磯の根に絡んだリーシュを足から一度はずした。
目の前には、それだけでダブルオーバーはあるであろう
巨大なホワイトウォーターが再び押し寄せてくる。
その波を何とかやり過ごし、ボードを手繰り寄せた泰介は
再び沖へ向うべく、カレントに向ってパドルを開始した。
徐々に落ち着いてきたコンディションのなか、
2本目のセットのロングスロープにボードをおろして行く。

Taisuke’s 2nd set @ Yono’s Peak. Photo by SEGA.
見事1本目で、いままでで一番大きなサイズとなった
ここの波をライドし、無事ビーチへと戻ってきた。
今は亡き兄、洋之介の果たせなかった
このポイントに対する想いの詰まった
ピーター・マッケイブの7’6″と共に。



