Photo & Text by colorsmagyoge.

2025年現在からおよそ40年以上前の1970から1985年まで、湘南・辻堂にて当時、David nuuhiwaから使用を許されたイーグルマークで一世を風靡した伝説のサーフショップ”PIPELINE Surfboards”のオーナー&プロサーファーで日本を代表するスーパーレジェンド・プロサーファーでもある坂本昇氏が、76歳で死去した。

死因は心臓に何かしらの問題が勃発したか、熱中症とされているが定かではない。

25年の月日を経てレジェンドシェイパー山崎市朗氏シェイプによって2007年より復活を遂げたPIPELINE surfboards。(引用元:STANDARD STORE)

日本が世界に誇るパイプライナー脇田貴之プロが師として仰ぐほどのヨーガの達人としても知られる一面も持っていた坂本昇氏は85年以降、八丈島に拠点を移し、この数年間は極上の波を追い求めるが故に一年の半分をインドネシアのバリ島で過ごされていた。

その年齢を感じさせないビッグウェイブ・チャージ、そしてチューブスキルの高さで、亡くなる寸前まで多くのサーファーたちを魅了し続けたその生き様は、まさにコナー・オレアリーの母で歴代グランドチャンプの柄沢明美プロの言葉を借りれば「波乗りに生涯を捧げた」生まれながらの天性のプロサーファーだったと言って過言ではないだろう。

「辻堂パイプライン坂本昇氏ご冥福をお祈り致します🙏🏽1983年私が初めて移住した辻堂の大御所様で、やっと口を聞いて頂いたのは移住から2,3年経ったある早朝、波チェックに行ったら坂本さんはいつものように座ってヨガ瞑想の合間に波の話をしてくれました。それから私が選手会長になったとき、当時の女子選手会担当理事の和泉さんがお亡くなりになり、後を引き継いでくれる方がいないと話したら引き継ぎが見つかるまで俺がやってやると言って下さり心強くありがたかったです。パイプラインチーム員の方々は大波チャージ、スタイルがカッコよく憧れました。コナが日本の試合に出だした頃も千葉で会って応援もしてもらった思い出が。近年はお噂しか聞いていないが、波乗りに生涯を捧げた方だった。」by 柄沢明美プロ

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辻堂にかつて存在した伝説のサーフショップ”PIPELINE Surfboards”時代には、日本が世界に誇るスーパーレジェンド添田博道プロをライダーとしてスポンサー&サポートしたり、また、カリフォルニアに渡り、当時ロケットフィッシュと呼ばれたツインフィンを初めて日本に上陸させたりもした。

坂本昇プロが現代の日本のサーフシーンに残した功績は枚挙にいとまがないのである。

まさに日本のサーフィン創成期に欠かせないカリスマ・プロサーファーとして活躍し、現代の日本のサーフシーンの基盤を作り上げながらもサーフビジネスから身を引き、プロサーファーとして極上の波を追い求める道を選んだ坂本昇プロのご冥福を心よりお祈り申し上げます。

スーパーレジェンドプロサーファー

坂本昇Noboru Sakamoto

1949-2025

yoge
サーフィン・プレビュー/吉田憲右著・泉書房、古都鎌倉ミステリー旅/吉田憲右著・コスミック出版など数々の書籍を発行し、2000年にTRANSWORLD SURFの外部スタッフとなったのをきっかけにメディア界に参入。 2001年から2009年10月まで月刊SURFING WORLDの編集部兼カメラマンとして勤務。 その経験と共に、第1回NSA東日本サーフィン選手権大会Jrクラス3位、2年連続THE SURFSKATERS総合チャンプなどテストライダーとして培ってきた経歴を活かし、サーフィンを軸としたスケートボード、スノーボード、ミュージック、アート全般をひとつのコーストカルチャーとしてとらえ、心の赴くままにシャッターを押し、発信し続ける。 >>>出版物 >>>プライベート撮影問い合わせ