Movie by Jack McCoy. Text by colorsmagyoge.

アメリカ東部夏時間の5/26日 22:47。

”Storm Riders (1982)をはじめ、BILLABONGの名作”The Green Iguana”、”The Occumentary”、”Sabotaj”、”BILLABONG Challenge”、そして映画”Blue Horizon”など歴史に残る作品の数々を手掛けたサーフムービー界の世界的巨匠Jack McCoyが76歳で他界した。

「愛する人たちへ。今日はJack McCoyに大きなハグを贈ってください」

と、Jack McCoyの家族はインスタグラムで投稿した。

「いつ息を引き取れるか分かりません。今日は、あの大男のために最高の一杯を買ってあげてください。」

Jack McCoyはこの数年間、健康上の問題を抱えていたようで、すでにその命には限られた時間しか残されていなかった。

上記した作品のみならず、VHSビデオ時代から誰もがそのタイトル名を聞けば知っているような多くの名作残し、それらの作品を通してサーフィンの美しさ、精神的な力、そしてサーファーと海との繋がりなどを表現し続け、サーフィン自体をより良い方向へと導いてきたことは言うまでもない。

Jack McCoyがサーフィン界に与えてきた影響は計り知れないほど大きい。

今日に通用する水中撮影の定義を確立した男、Jack McCoy

Jack McCoyの功績は、彼の残してきた映像作品に脚光が当たりがちであるが、実は現代のサーフィン映像やサーフィン写真のスタンダードとなっている水中撮影の定義を確立したのもJack McCoyであった。

「サーフムービーを作る人の多くは、ビーチの一点に立っています。なぜ動かないのかと尋ねると、彼らはショットを逃したくないと言います。ハリウッドには『撮れなかったら、それはなかったこと』という古い格言があるんです」

Jack McCoyが残した言葉だ。

「初期のサーフムービーの素晴らしさの一つは、水中シーンがあったことだ。多くの映画に欠けているのは水中シーンだとずっと感じていた。私にとってはそれがすべてだ」

Jack McCoyはハワイのカイルアで生まれ、Gerry LopezやDenis Pang、そして60年代後半のノースショアの革命児たちと共に育った。

1970年にオーストラリアに渡った後、ジャックは当時アメリカで猛威を振るっていたベトナム徴兵を回避するべく、オーストラリアに留まることを決意した。

“アロハ・デス”を手掛けた映画監督のDick Hool、”エンドレス・サマー””のBruce Brownをはじめとする60年代初頭のサーフフィルムメーカーたちの作品に共感したJack McCoyは、1976年に公開された初の長編サーフフィルム”(In Search Of) Tubular Swells”を制作。

Larry Bartleman、Rabbit Batholomewなど、当時最も注目を集めていた才能あるサーフスターが出演した名作となった。

その後50年間、Jack McCoyは水中映画撮影術の定義を模索し続け、今日でも通用する先駆的な水中写真と水中映像撮影における手法を確立した。

一流ミュージシャンたちにアーティストとして認められた唯一無二のサーフ映画監督

Jack McCoyは映画を通してサーフィン文化に永続的な貢献を果たしたその功績が認められ、2013年にカリフォルニア州ハンティントンビーチのサーフィン・ウォーク・オブ・フェイムに名を連ね、今年はオーストラリア・サーフィン業界協会より業界貢献賞を受賞した。

そんなJack McCoyのクリエイティブな才能はサーフムービーだけに止まらなかった。

1980年代初頭、LAに住みながら、自身の映画制作に打ち込んでいたJack McCoyはハリウッドヒルズの豪邸に滞在していたことがあった。

とある日の午後、編集作業をしていると、突然来客があって彼の進捗状況を見に来た。

偶然にもそれが、ロックスターのDavid BowieとMonty Pythonの伝説的ミュージシャン、Eric Idleだった。

2人はJack McCoyの仕事している姿を見て、彼がただサーフムービーを作っているだけでなく、アートも作っているのだと確信したのだった。

「音楽は作品の50%を占めるほど重要な要素です。全部自分で選曲するんです」

とJack McCoyは語った。

「僕はただの古いロックンローラーだけど、自分が世界最高だと思っているバンドにアクセスできて、彼らと友達で、彼らの音楽を使えるとなると、どうしようもないんです」

まさに1980年代初頭の経験が、Jack McCoyの作品創りに対する夢とビジョンに大きな自由を与えたのだった。

その後Jack McCoyの一流ミュージシャンとの交流は深まり、ビートルズのPaul McCartneyとタッグを組んで海洋保全を訴える強いメッセージが込められPaul McCartneyの楽曲”Blue Sway”のビジュアルデザインを手がけたこともあった。

現在の日本のサーファー、そしてサーフカルチャーはJack McCoyの映像作品に大きな影響を受けて形成された部分もあると言って過言ではないだろう。

Jack McCoyが世界に共有してきた感動の数々は世界を根底から変えてきた。

そんな偉大な世界的サーフ映画監督であり、カメラマンでもあるJack McCoyに、この場を借りて改めて、ありがとうございました。

安らかにお眠りください。

yoge
サーフィン・プレビュー/吉田憲右著・泉書房、古都鎌倉ミステリー旅/吉田憲右著・コスミック出版など数々の書籍を発行し、2000年にTRANSWORLD SURFの外部スタッフとなったのをきっかけにメディア界に参入。 2001年から2009年10月まで月刊SURFING WORLDの編集部兼カメラマンとして勤務。 その経験と共に、第1回NSA東日本サーフィン選手権大会Jrクラス3位、2年連続THE SURFSKATERS総合チャンプなどテストライダーとして培ってきた経歴を活かし、サーフィンを軸としたスケートボード、スノーボード、ミュージック、アート全般をひとつのコーストカルチャーとしてとらえ、心の赴くままにシャッターを押し、発信し続ける。 >>>出版物 >>>プライベート撮影問い合わせ