Photos & Text by colorsmagyoge.

2泊3日の短いキッズキャンプDWDC Vol.2が

いよいよFINAL DAYを迎えた。

この日は朝6時に起床。

キャンピングカーで睡眠を取り、

若干遅刻気味でキャンプ場へ足を運ぶと、

本企画DWDCの校長先生である蔵人さんが自ら

子供たちの朝食を作っているところだった。

いつものように朝食を済ませると、今度は

「どのチームが一番早く、かつ綺麗にテントをたためるのか選手権大会」

を開催。

テントのたたみ方を知らない各チームごとに手探りでありながら、

或いは説明書を見ながら力を合わせ、なんとか片付け終了。

そのあと、お世話になった滝頭公園キャンプ場に

ゴミが落ちていないか全員でくまなくゴミ拾いをし、

記念に集合写真を撮ってMatt ChangのChill Outへ

シメのスケートセッションをしに向うことに。

Chill Outに到着すると、

DWDCでは一番責任を持たされている感のある蔵人さんの息子ノアが

蔵人さんに一発喝を入れられた。

DAY2の夕方にChill Outで一番高さのあるランページから

やまとがドロップをメイクした話しを耳にした蔵人さんは、

そういったことが事故に繋がり兼ねないとの判断をしたのだろう。

「チャレンジするのはいい。でもヘルメットやプロテクターをつけさせろ」

ということだった。

それは確かにコーチ側からしてみれば当たり前のことで、

ただでさえサーフィンやスケートボードという

怪我と隣り合わせのスポーツをしているのだから、

なるべく事故をさせないようにするのは鉄則である。

前日の夕方やまと初ドロップの現場にいながら

止めることができなかった自分に対し、少し反省した。

そのことについては何も反論がなかったのか、

ノアは珍しく黙って返事をし、

最年少キッズのやまとにヘルメットを被らせてあげたのだった。

ノアのことはもう何年も見て来ているが、

このDWDCに参加したことで急激に成長してきた気がした。

自分よりも年下のキッズたちの面倒をみることによって

ある種の責任感のようなものを感じるようになったのか、

言動が以前よりもしっかりとして来ているような気がしたのは

自分の気のせいかもしれないが、それはショーヤやノリ、

湘南から参加してくれている紅一点ミキコにも

同じことが言えるような気がした。

こうしてヘルメットを被って余計に強気になったやまとは、

早速前日のおさらいなのか、

Chill Outで一番高いランページからドロップするのが癖になった様子。

キッズたちは思い思いにスケートボードに没頭。

Koki.

Tsubasa, Takumi, Gurimu.

Mikiko.

Riki.

 

ちょうどこの日はChill Outのスケートパークの改造工事の日で

Matt Changはキッズたちがスケートするのを横目に、

パーク作りに真剣なまなざしを注いでいた。

そこに来たのがDWDC特別企画、

キッズならば嫌いな子はいないであろう

「駄菓子」の差し入れである。

岡田さんやMatt Changの計らいにより、

ここでキッズ全員に駄菓子が配られ、

さすがにこれにはキッズたちもスケートボードを急にやめ、

おいしい駄菓子の時間へと突入。

Ryosuke, Taro, Koki.

Mikiko, Yamato, Showya.

 

「やまと、これ食うか?」

とショーヤ。

「あけてあげようか?」

とミキコ。

しばしキッズたちの笑顔の時間となった。

のも束の間。

「よし!そろそろ帰るぞ!準備をしろ!!」

という蔵人さんのひと声で、キッズたち全員が集合。

Claude & Okada-san.

Matt Chang.

 

伊良湖でお世話になっている方のひとり、

岡田さんより挨拶があり、

さらにはMatt Changからも挨拶があり、

いよいよ第2回目となったキッズキャンプDWDCはクライマックスに。

参加したキッズたちひとりひとりにDICE WAXからの参加商品が

蔵人さんより手渡されていく。

Nori, Daichi, Tamade.

 

東日本大震災で被災した極真空手チャンプである玉手コーチや、

今回玉出コーチの右腕として駆けつけてくれた

同じく宮城出身で津波で命を落とす一歩手前のところまでいった

ダイチコーチ、DWDC一期生ノリの表情も険しいものとなる。

この短いキッズキャンプで一番つらい、別れの瞬間が訪れたからだ。

DWDC Vol.1から参加しているリョウ、

最後の最後に、そんなに寂しい顔をするなよ。

思い起こせばDWDC Vol.1の最終日の別れの瞬間も

このChill Outのスケートパークだった。

そのときリョウは、

東日本大震災の被災者であるユウタ、ショーヤ、ノリたちのために

一生懸命募った募金を、別れの間際に彼らに手渡した。

Ryo. (from DWDC Vol.1)

 

 

「あいつ、フェリー乗り場でいきなり大きな声出して

『東日本大震災の募金、よろしくお願いします』と

フェリー乗り場にいる人たちに次々に近づいていくんすよ。

ヤバくないすか。迷惑じゃないですか」

とキッズの誰かが私しcolorsmagyogeに言って来たことがあった。

しかし、実際に蔵人さんと何度も被災地に足を運び、

被災地の非現実的な現実を目の当たりにしていた自分は、

「そんなことはない。関西や関東では考えられないような被害を

東北の人たちは受けているんだ。時には端から見れば迷惑でも、

かけがえのない自分の仲間のためなら恥をかくことだって大切なんだ」

と少しえらそうなことを言ってしまったのだった。

もしかしたらリョウは、

東北から参加したショーヤやノリ、ユウタが

津波や地震で自分たちの家を失ってしまったことを

キャンプの最中に直接本人の口から聞いていたのかも知れない

と思った。

そんなリョウが東北の3人に一生懸命集めた募金を手渡したとき、

その場で4人揃って写真を一枚撮った。

ファインダー越しにじっくりと彼らを見たとき、

必死で込み上げるものを抑えようとする

東北キッズたちの表情が、

胸に深く突き刺さった。

募金箱に入っている金額なんて、

東北のキッズたちからしてみれば

多少の足しにもならないような金額だろう。

しかし、そこには金のような温もりのない欲望ではなく、

リョウの気持ちと、思いやりと、

やさしさ、そして愛がたくさん詰まっていた。

Showya, Ryo, Yuta, Nori.(from DWDC Vol.1)

 

辛い時間はいつまでも経っても終わらないように感じる代わりに、

楽しい時間あっという間に過ぎていくもの。

Showya & Shota.(from DWDC Vol.1)

 

出会いは別れ、別れは出会い。

楽は苦の種、苦は楽の種。

人生一期一会。

Takumi & Rintaro.(from DWDC Vol.1)

Yu Watanabe & Ryo.(from DWDC Vol.1)

Yamato.(from DWDC Vol.1)

 

一瞬たりとも同じ瞬間はなく、

たったいま起きたことは、

気がつけばすべてがすでに過去となり、

そして二度と戻らない。

いくら人間が原子力発電で豊かな暮らしを得ようが、

核爆弾をどこかの国が所持して科学の力を誇示しようが、

未だタイムマシーンすら発明されるに至っていない。

これまで起きた数多くの原発事故で

北半球はすでに放射能で覆われ尽くしている

と言われるこのふざけた現状、

今度は放射能を除去するまったく効かない新薬という名の

原発マネーにオレたちは乗っかるハメになるのか。

それよりもタイムマシーンを真剣に発明する方が懸命なのではないか。

それこそのび太くん得意の甘えた「ドラえも~ん」状態

なのかもしれないが、いまの原発事故を修復し、

四方を海に囲まれ、四季折々の自然に恵まれた

日本という国の本当の財産である山、海、川、

そして魚や海藻などの豊かだった資源を安全な状態に戻すには、

もしかしたらそれしかないのかも知れないと、

ふと思ってしまうような馬鹿げた現実に支配された

現在の日本という国の姿に間違いはなさそうだ。

だからこそ、次があるさ。

でも次はいつまであるかわからない。

だから今を、この瞬間を精一杯、自分らしく生きていこう。

というわけで、次のDWDC Vol.3は

10.7(金)深夜出発~10.10(月)夕方着の予定。

今年はこれをもってDWDC終了の予定となっているので、

参加希望のキッズは下記THREE DICE及びDICE WAXに

お問い合わせください!

>>>THREE DICE

>>>DICE WAX

 

 

 

yoge
サーフィン・プレビュー/吉田憲右著・泉書房、古都鎌倉ミステリー旅/吉田憲右著・コスミック出版など数々の書籍を発行し、2000年にTRANSWORLD SURFの外部スタッフとなったのをきっかけにメディア界に参入。 2001年から2009年10月まで月刊SURFING WORLDの編集部兼カメラマンとして勤務。 その経験と共に、第1回NSA東日本サーフィン選手権大会Jrクラス3位、2年連続THE SURFSKATERS総合チャンプなどテストライダーとして培ってきた経歴を活かし、サーフィンを軸としたスケートボード、スノーボード、ミュージック、アート全般をひとつのコーストカルチャーとしてとらえ、心の赴くままにシャッターを押し、発信し続ける。 >>>出版物 >>>プライベート撮影問い合わせ