Text by colorsmagyoge.

サーフィン大国AUSを代表する

レジェンドサーファーMichel Peterson(59歳)が、

3月29日(木)の朝、クーランガッタの自宅にて

天に召されました。

心よりご冥福をお祈り致します。


photo Dan Merkel.
【MP/Michel Peterson】

72年にQueenslaandで繰り広げられた

Peter Townendとの名勝負を制したのを皮切りに、

73年にはBellsで優勝、

74年には再びQueenslandを舞台に、

今度はWayne“Rabbit”Bartholemewを相手に

劇的な勝利を収めると共にBellsで2連勝目を挙げた

72〜74年の3年連続元AUSのチャンプ。

ホームブレイクKirraで育まれたスピード・サーフィンを武器に

73年から75年までBells Beachのコンテストで3連勝を果たすなど

70年代AUSで開催されたメジャーコンテストを総ナメにし、

プロコンテストの頂点を極めた歴史的サーファーのひとり。

FlashBack MP in Bells.

攻撃的でありながらも波と調和する革命的なそのサーフスタイルで

70年代のサーフシーンに大きな衝撃を与え、

74年のPipelineでは前人未到だったBackdoorの扉を開き、

世界のサーフィンをネクストレベルへ引き上げ、

いまだTom CurrenやKelly Slater、Mick Fanningなどの

歴代ワールドチャンプたちに強い影響を与え続ける

張本人として知られている。

さらに74年9月には

KirraのBurford Blanksの工場の横にPeterson surfshopを構え、

MP surfboardのシェイパーとしてビジネスも開始。

当時のGold CoastのフィルマーであるAlby Falzonは

自らの作品「Morning of the Earth(1971年)」で

全盛期のMPのサーフィンを「アート」とまで評したが、

頂点を極めると同時にヘロインにハマり、

それが原因で没落。

眩しいほどの光を放つも、それはとても儚く、

そしてなぜか、どこか悲しいサーフスターの運命。

人生のすべてをWAVE RIDEに懸けた伝説のレジェンドの魂に

改めてこの場を借りて、敬意を示したいと思います。

自分はMPの全盛期にはまだ生まれていなかった若造であり、

その全盛期を生で見ていた訳ではありませんが、

いまの自分が愛してやまないショートボード・サーフィンの根底に

MPの功績が確かにあったという事実を心に感じながら

波の上でのみ味わうことができる、

あの言葉では言い表せない滑走感を、

一本一本、噛み締めていきたいと思います。

ありがとうございます。

R.I.P Michel Peterson.

【必見映画|Searching for Michel Peterson】
Searching for Michel Peterson Trailer.

Bustin’ Down The Door.

 

さらに下に掲載させて頂いた動画は、

Wayne“Rabbit”BartholemewとMP、

そしてMark Richardsによる1977年に残された

非常に貴重な動画となっております。

私しcolorsmagyogeが生まれた年、1977年には、

すでにこのようなエキサイティングなサーフィンが

繰り広げられていた事実に想いを馳せずにいられません。

こちらの動画、

ぜひじっくりと、ご覧下さい。

MP 1977 sttubies

 

yoge
サーフィン・プレビュー/吉田憲右著・泉書房、古都鎌倉ミステリー旅/吉田憲右著・コスミック出版など数々の書籍を発行し、2000年にTRANSWORLD SURFの外部スタッフとなったのをきっかけにメディア界に参入。 2001年から2009年10月まで月刊SURFING WORLDの編集部兼カメラマンとして勤務。 その経験と共に、第1回NSA東日本サーフィン選手権大会Jrクラス3位、2年連続THE SURFSKATERS総合チャンプなどテストライダーとして培ってきた経歴を活かし、サーフィンを軸としたスケートボード、スノーボード、ミュージック、アート全般をひとつのコーストカルチャーとしてとらえ、心の赴くままにシャッターを押し、発信し続ける。 >>>出版物 >>>プライベート撮影問い合わせ