Photos & Text by colorsmagyoge.

 

勢力の強い前線を伴った低気圧の通過により、南から南東寄りのうねりが届けれた3/11(月)。

津波によって東北エリアに甚大な被害をもたらした東日本大震災から8年経ったこの日、仙台出身の日本を代表する世界的プロサーファー松岡慧斗に加え、同じ仙台出身のプロサーファーで松岡直属の後輩でもある小嶋海生、そしてDA HUI Backdoor Shootoutでは松岡と一緒に大活躍を果たし、4位入賞とベストチャージ賞を受賞した中村昭太といったメンバーと共に、波を求め早朝から車を走らせること数時間。

もし予報の通りであれば、パンプしているであろう某リーフを数カ所チェックしてみるが、やはりサイズが足らず、求めるようなコンディションには遭遇できず。

 

行きの車ではやたら相当テンションが高かったメンバーたちも狙っていた波に出逢うことができず、少し落胆しつつも、もしこうなったら某ビーチブレイクを見に行こうということになり、さらに車を走らせる。

正直、狙っていたリーフブレイクがダメだったことから、次なる目的地となった某ビーチブレイクもそんなに期待できないだろうと、半分諦めかけていた。

しかし、実際に到着してみるとそこには、オーバーヘッドの高速チューブ波が待ち受けていた。

すべての波がパーフェクトではないが、時折入るいい波”はまるでオーストラリアのスナッパーロックスのごとく最初から最後まで長い距離に渡ってチューブを巻きまくっていた。

「やろう!」

誰かが言ったその一言でセッションは幕を開けることとなった。

ビーチに降り立つと、セットの波を掴み、見事なねじ込みからバックサイドチューブをメイクするサーファーの姿が。

「あれ?今のはアッチさんじゃない?」

チューブから抜けてきたそのサーファーはまさしくアッチさんこと今村厚プロそのものであった。

Atsushi Imamura.

 

そして、グーフィーフッターには見えているのか、レギュラーのセットよりもさらに少ないが、これまたクオリティーの高いレフトの波を掴み、次から次へとチューブに突っ込んでいく。

Atsushi Imamura.

 

それを見てもう我慢できなくなってしまった様子の中村昭太がいの一番に海へ飛び込んでいく。

DA HUI Backdoor shootoutでは、セカンドリーフから巨大なセットが押し寄せるパイプのグーフィーのチューブがメインとなったコンディションの中、地元ハワイアンの選手ですらその巨大セットを食らうことを恐れて誰ひとりとしてレギュラー方向のバックドアの波を掴まなかった。

であるにも関わらず、頑なにバックドアを攻め続けたのは中村昭太のみで、そのコミットメントこそが地元ハワイアンに感動を与え、今回の価値あるベストチャージ賞受賞という形となった。

「たとえ抜けられなくても、一瞬でも長くでかいチューブの中に包まれていたい」

そんな思いが伝わってくるようなバレルジャンキーならではの相変わらずなチャージぶりを魅せ、世界レベルのフロントサイドチューブスキルを唸らせまくっていた。

そしてこの日のセッションの最後に掴んだ波でのチューブは、波のサイズ、テクニック共にこの日のベストチューブと言って過言ではなく、それについては後ほどcolorsTVの映像とシークエンスコーナーにてお届けさせて頂きたいと思います。

Shota Nakamura.

 

海とのサイクルがバッチリと合い、セッションの前半にいい波を掴みまくっていたのは”OJK”こと小嶋海生。

日本一のビーチブレイク仙台新港に育まれたそのチューブスキルで数本のバレルをメイク!

チューブに入っても持ち味であるその内股スタイリッシュさは変わらない、憎過ぎるライディングを連発していた。

Kai”OJK”Ojima.

 

そんな熱いセッションを繰り広げていると、なんとこのタイミングで小川啓プロがGoProを片手に登場。

90年代にはライバルである渡辺広樹プロと無敵の時代を刻み続け、その時代のトップとして君臨し続けたサーフスターの登場に勝手にテンションがぶち上がってしまうcolorsmagであった。

Hiraku Ogawa.

 

そんな中、右側のローカル色が強そうなピークに入った形のいい波を掴み、絶妙なストールから見事なチューブをメイクしたサーファーが。

あまりにも波と調和したそのライディングに思わず歓声をあげると、三脚を立てて撮影するcolorsmagの隣で体操をしていた元プロサーファーで現在はJPSAジャッジやNSA全日本チャンピオンであり、そしてVIPシリーズなど数々の名作サーフムービーを手がけてきた澤井革さんが、

「あれはローカルのPewさんだよ」

と、教えてくれた。

さすが小川修一氏&啓の小川親子から今村大介&厚の今村兄弟、そしてノリマーの大野兄弟に至るまで、日本のトッププロサーファーを輩出し続けてきたこのエリア。

改めてここのローカルサーファーたちのスキルの高さを再確認させられた1本となった。

Pew san.

 

さらに右奥の岩場沖に入ったセットで太いチューブを駆け抜け、セットの波はチューブオンリーと言って過言ではないこのコンディションにおいてもソリッドなリッピングを披露したのは深川達也。

最近ではWSL公認のジャッジとしても活躍し、ハワイのQSコンテストにもジャッジとして参加するなど、プロサーファーとしてだけでなく、サーファーとしてその活動の場を広げている。

Tatsuya Fukagawa.

 

セッションの後半にさすがのチューブをメイクしたのは澤井革さん。

チューブに潰される度に研ぎ澄まされていくサーファー的野生の感覚が伝わってきて、これまた撮影しながら思わず歓声をあげてしまった1本となった。

Kaku Sawai.

 

入水してすぐに一番良さそうなどピークに行くのではなく、セッション前半は誰もいない左側の、ただただ掘れているだけの数少ないグーフィーを狙い、得意のグラブレールでチューブに入っては潰されるを繰り返していた松岡慧斗。

 

旅慣れている彼ならではのローカリズムに対する細心の配慮なのか、しかしそれでもセッション後半は波を呼び込み、少し左側のピークから数本の見事なチューブを披露。

特に最後のチューブは見事で、テイクオフからストールしてチューブに入り、そこから高速ブレイクセクションに突入しつつ、最後はまたスローになってクローズアウトするその難しい波のスピード調整を完璧にこなし、最初から最後まで1本の波のチューブを味わい尽くしたという言葉がしっくりと来る世界レベルのチューブスキルを魅せつけてくれた。

そんな彼はこの日、オフショアを味方につけた完璧なフルローテーション気味なエアリバースをメイク!

チューブばかりのイメージが強い松岡慧斗であるが、それについては後ほどこの日のベストシークエンスとして、シークエンスコーナーにてお届けさせていただく予定。

そちらの方も乞うご期待ください!

Keito Matsuoka.

 

2時間程度経つと南西のオフショアが強烈に吹き荒れ、一気にサイズダウンしてセッションは終了。

帰路の途中で今村厚プロが営むIRIE CAFEに立ち寄り、美味しい唐揚げとコーヒーを堪能。

このエリアに立ち寄った際には、白浜神社の目の前にあるIRIE CAFE要チェックとなっております!

 

東日本大震災から8年が過ぎ去ったこの日。

 

実際に湘南に住むcolorsmagは直接的にはその被害を受けることなく、その後真木蔵人と共に物資を届けたり、炊き出しを行なったり、自分たちにできることをやってきたのみで、実際に現地に行っても、被害に遭われた方々のその悲しみや心の痛みは、計り知ることなどできなかった。

そして、なぜかそれ以来7年間、毎年この日には偶然にも必ず仙台出身の松岡慧斗と一緒であり、東日本大震災の甚大なる被害を思い、常に何か行動してきたことに不思議な縁を感じつつ、この日ありつくことができたスペシャルな波を仲間と一緒にスコアすることができた当たり前のような有難い1日に、感謝の気持ちが溢れた。

 

 

 

 

 

yoge
サーフィン・プレビュー/吉田憲右著・泉書房、古都鎌倉ミステリー旅/吉田憲右著・コスミック出版など数々の書籍を発行し、2000年にTRANSWORLD SURFの外部スタッフとなったのをきっかけにメディア界に参入。 2001年から2009年10月まで月刊SURFING WORLDの編集部兼カメラマンとして勤務。 その経験と共に、第1回NSA東日本サーフィン選手権大会Jrクラス3位、2年連続THE SURFSKATERS総合チャンプなどテストライダーとして培ってきた経歴を活かし、サーフィンを軸としたスケートボード、スノーボード、ミュージック、アート全般をひとつのコーストカルチャーとしてとらえ、心の赴くままにシャッターを押し、発信し続ける。 >>>出版物 >>>プライベート撮影問い合わせ